元はシンプルだったのに複雑化してしまった3つのこと

15 10月, 2020
人類にはいくつか解決しなければならない深刻な問題がありますが、多くの人々が虚構の困難を解決するのに時間をかけ過ぎています。これらは、無数のシンプルな事柄が突如必要性もないのに複雑化してしまうことで生み出されることが多いものです。以下では、このことについて詳しく見ていきます。

私たちの暮らす矛盾だらけの時代では、極端に複雑な事柄が単純化され、逆に単純な事柄が複雑化されています。例えば近年では地球上の様々な場所から人とほんの数秒間のうちに繋がり合うことができますが、隣人に「こんにちは」と挨拶することが大きな偉業かのようになり得るのです。

私たちがシンプルな物事にあれこれ工夫を加え出してしまったのは、主に消費主義の影響が強いのでしょう。しかし、現代という時代が有効に活用すべき素晴らしい技術の進歩を私たちにもたらしてくれたように、過去の時代の重要な価値観も、今の私たちにとっては有益かもしれません。それでは、複雑化してしまってはいるものの本来はシンプルな事柄3つを紹介していきます。

“心の中で深刻な生き方を始めてしまった者は、外側ではよりシンプルな生き方をするようになる”

-アーネスト・ヘミングウェイ-

シンプル 複雑化

1. 食べること、元々は単純だったのに複雑化してしまったこと

食べることはおまけ的な行為ではありません。なぜなら、食べなければ私たちは死んでしまうからです。ほんの数十年前まで、食べ物は暮らしの中の単純な事柄の一部分でした。人々は、より栄養が豊富で口に合うものを優先的に食べようとしながらも、食べられるものなら何でも食していました。

しかし今日の世界では、食べ物は昔より複雑化してしまっています。今や一部の人々にとっては実質的に全ての食べ物には何らかの害があって、食生活というテーマは非常に難しいものと化しているのです。ラクトースフリー(無乳糖)の牛乳、デカフェコーヒー(カフェインの入っていないコーヒー)、シュガーフリー、ソルトフリー、フラワー(小麦粉)フリー、グルテンフリー、ミートフリーといった文字が並び、どの栄養素も多過ぎず、しかし少な過ぎずを心がけねばならず、この食べ物とこの食べ物は組み合わせてはいけない、といったこだわりも見られます。

しかしこれはもっとシンプルにできるはずです。一方では、食べ過ぎないようにすることは良い考えだと言えるでしょう。これはストア学派が生まれた時から変わらずに広く知られている知識です。そして他方では、超加工食品をあまり食べないようにする方が良いでしょう。

食べることを自分の体への脅威のように捉えるべきではありませんし、だからといって崇高な儀式のように考える必要もありません。実はもっと単純なことなのです。

2. 服を着ること、裏で消費主義を促進しているもの

消費主義は極端なレベルにまで肥大してきました。自分たちの祖父母や曽祖父母が新しい衣服をごくたまにしか買っていなかったであろうことは、きっと誰もがわかっていることと思います。当時の製品はとても質が良かったので、兄や姉から弟や妹へ、そして父から子へのお下がりで十分だったのです。

昔の人が求めていたのは、寒い時には十分に体を暖めることができ、暑い時には涼しく感じさせてくれるような衣服です。日常的に着るものを選ぶ基準は、有用性と快適さでした。そのため人々は、耐久性があって質が高く、適切な材料で作られた衣類を購入していたのです。

衣服は常に見た目の美しさと関連していました。しかし、私たちの祖先がこの側面を重視したのは、特別な日や特別なひと時のみでした。当時の人々にとっては、休日用のドレスを持っておき、仕事がない日や特別な祝い事の時にだけそれを着るというのが一般的だったのです。

しかしこれは今の世界では非常に難しいでしょう。特に、他者の意見を極端に気にかける人々や、他人を喜ばせたいと常に思っているような人にとってはなおさらです。変化し続けるトレンドのせいで特定の衣服は時代遅れとなり、その分新たな大量の消費が約束されるというわけです。これこそ、シンプルだったものが複雑化してしまったことの完璧な例だと言えるでしょう。

元はシンプルだったのに複雑化してしまったこと

3. 本当は単純なのに複雑化してしまったもの:楽しむこと

このリストに「楽しむこと」までもが含まれることで、困惑する方もいるでしょう。しかしこれは事実なのです。人々は楽しむための選択肢を何百個も作り上げてきましたが、心の底ではそれほど楽しめているわけではありません。ただの暇つぶしかひと時の娯楽といった程度です。

現代社会には巨大なエンターテインメント産業が存在しており、ここではエンターテインメント界の有名人が売り込まれています。その中にはもちろん才能豊かな人々もいるのですが、一方で歌の下手な歌手や演技ができない俳優、筆力のない作家などがいることも明らかです。根底部分では、一部の著名人の役割はモデル業の一貫に過ぎないのです。

著名人とは強い勢力によって作り出されるものであり、人々は彼らのコンサートやショーのためにかなりのお金を費やします。現在では多くの人がこの種のエンターテインメントの観衆となっていますが、実際には積極的な参加者というわけではありません。その一方で、私たちは会話やシンプルなゲーム、ダンス、読書といった本当に楽しいアクティビティのことは忘れてしまっているのです。

スペイン語で「楽しい」を意味する「divertido」という言葉は、ラテン語の「divertere」に由来します。この言葉には「反対の方向を向く、気晴らしをする」といった意味がありますが、現代社会の「楽しさ」はこれとはかけ離れているようです。それどころか真逆の状態にあり、私たちは同じトレンドをただ心の中で繰り返させられているだけなのです。

食べることも服を着ることも楽しむことも、もっとシンプルでもっと親しみやすいものになり得るはずです。物事を今より単純化するという行為はおそらく、幸せを取り戻す方法の一部なのでしょう。

De Bono, E., & Millet, A. S. (2000). Simplicidad: técnicas de pensamiento para liberarse de la tiranía de la complejidad. Paidós.