なぜサッカーにまつわる暴力がこれほど多いのか?

2019年9月7日
サッカーファンによる暴力行為は、我々がかなりよく目にする社会現象です。この行為を引き起こすものは何なのでしょうか?この記事では、それを説明するのに役立つ理論をいくつかご紹介します。

なぜサッカーにまつわる暴力、特にファンによって引き起こされる暴力行為がこれほど多いのでしょうか?ライバルチームのファン同士の暴力を伴う衝突について、たくさんのニュースを我々は目にしています。コパ・リベルタドーレス決勝戦のリーベル・プレートとボカ・ジュニアーズというアルゼンチンチーム同士の試合の中でも、暴力事件が発生しました。

ファングループ間の暴力行為の結果、決勝戦はアルゼンチンではなくスペインにて行われました。多くの人が、こういった集団行動が起こると混乱したりショックを受けたりするものです。なぜこのような行為が発生するか理解できないからでしょう。

これに関しては、心理学では何年間にもわたって集団社会行動の研究がなされてきました。この記事では、こういった暴力的で攻撃的な行動の背景にある動機が何なのかについて光を当ててみようと思います。

没個性化プロセスから生じる暴力

まず、サッカーにまつわる暴力を説明するためには没個性化プロセスについて明らかにしておく必要があります。このプロセスが暴力行為の説明となるわけではありませんが、集団行動の説明にはなるからです。

なぜサッカーにまつわる暴力がこれほど多いのか?

ご自身がサッカーの試合を観戦していて、ライバルチームの選手がそばにいる様子を想像してみてください。もしあなたが彼らを罵ろうと思っても、周りにライバルチームのファンが大勢いたらきっとそんなことはしませんよね。では、もし周りにいるのが自分の応援するチームのファンだとしたら何が起こり得るでしょう?

もし周囲に同じチームを応援するファンがいたら、おそらくあなたはライバルチームの選手を口頭で攻撃してしまうことになるでしょう。この2つのシチュエーションの違いは何でしょうか?それは匿名性と責任です。

“暴力とは、無能な人にとっての最後の砦だ”

アイザック・アシモフ

モラル、ゴメス、そしてカント(2004年)は以下のことを指摘しました:”このようなシチュエーションでは、匿名性、その集団、そして低くなった個人の自己認識度が人々を制御の効かない衝動的な違法行為へと駆り立てる。”

人は匿名性の恩恵を受けている時、より暴力的な行動に頼ってしまいやすくなります。誰かを侮辱しているのが自分たちだと誰にもバレる恐れがない場合、私たちは注目を浴びている時と比べてそういった行為に手を染めやすくなってしまうのです。集団の中にいると、自己認識が低下します。自分たちの責任をその集団へと転嫁することができるからです。私たちは自分自身でいることをやめ、代わりに集団になり変わるのです。

適合プロセス

適合は、サッカーの試合で起こる暴力を説明できるまた別のプロセスです。このプロセスは個人の反応を修正して集団の反応に近づけるというものです。言い換えると、私たちは自分の行動を所属する集団に応じて変化させるということです。

パエスとカンポスは以下のように述べました:”適合は集団のプレッシャーによる信条や行動の変化である。これは個人の性質を、当該の集団によって確立された規範に合うように修正してしまうのだ”

集団内には、様々なタイプの規範が存在します。中には記述的規範というものがあり、これは人が集団の中でどう行動するかを示すものです。そして命令的規範はその人がどう行動するように期待されているかを示します。適合は、一種の調節的作用と言えるでしょう。それは、その個人が集団に適応するために自らの行動を変えることができるからです。単独で行動する場合とは正反対の行動すら取れるのです。

“暴力によって得られた勝利とは瞬間的なものでしかないので、敗北と等しいのだ”

マハトマ・ガンディー

結果として、自分のいる集団が暴力的に振る舞うと、自分も同様の振る舞いをしてしまいかねないのです。この適合は、集団がそのメンバーに対して持つ支配力が向上し、相互依存が深まるほど強力になります。また、ある程度の不確実性や曖昧さが存在するときにも強くなります。自分が何をすべきかわからない時に、集団の行動を採用してしまうのです。

集団と個人の間に相似性が存在するときにも適合は強まります。もしある人物が自らをサッカーチームやファン集団の暴力的なイデオロギーと同一視してしまった場合、その人はさらに暴力的に振る舞う可能性があるのです。

なぜサッカーにまつわる暴力がこれほど多いのか?

総括

適切な教育を受けてこなかった人や暴力によって対立を解決してきたような人は、意見の不一致があったときに暴力的な行動を取りがちです。従って、敬意を持って子どもを養育することでこのような振る舞いに走るのを防ぐことができます。

豊かな内的世界とオープンで反射的な心もまた、自分自身を強固にして集団の一部になる必要性を抑えてくれます。多くの場合、集団に属することで気を落ち着かせようとするニーズの背景には自尊心の欠如が隠されています。所属しているという感覚は、感情的な充実感を与えてくれるのです。従って、内側でこの充実感を発達させられなかった人は、それを外部に求めるようになります。

自分自身について学び、知っていくことは暴力的な集団の一員になってしまうことを避ける上で不可欠です。自尊心が低ければ低いほど、そしてその集団が強ければ強いほど、よりそこに属さなければという思いが強まってしまいます。つまり、自分自身そして他人に対して敬意を抱けるようになれば、こういったシチュエーションはもう過去のものになるでしょう。