ニーチェが人類は病んでいると思った理由

ニーチェが人類は病んでいると思った理由

最後の更新: 02 11月, 2018

思想家のニーチェ(1844-1900)は、最も革命的で広く解釈されている思想の一派を生み出した人です。彼のお陰で、神は死んでいるという考えが台頭し、新しい世界の見方・解釈の仕方が生まれました。

最悪の恐怖から逃れるための洗練された方法として、人類自身が自分たちを閉じ込めてしまった牢獄から人間や人間の思考を解放する方法です。その恐怖とは、生の恐怖、自分の恐怖、自由の恐怖です。

ニーチェは、わたしたちの問題の根の多くは見識ある民主的なギリシャにあるとしています。神話を信じることをやめ、 学問を崇めるようになりました。理性を崇めることが、人を限定された洞窟で見た影におびえる生き物にしてしまったのです。

 

ニーチェは、このような現代化に関しては懐疑的です。この枠組みの中には何かが隠れていると考えていました。人生、自分に起こること、自分が気に入らないことに対する苦痛です。

病気、悲劇の根源

ギリシャでは、ディオニューソスが(命を)失い、アポローンが(議論に)勝利しました。外的に投影する完璧性に人が見せられてしまったのはこのためです。それは常に外に向かって投影されます。より遠くへです。なぜなら、人は自然体から遠く離れてしまっているからです。

  • 私たちの罰と運命は、象徴的な形を捨て物理的な形になること。
  • この罰をとめるには死あるのみ。

自爆して「より良い世界」を構築しようとする宗教的な原理主義者にとっては、このような考え方は理想です。しかし、その道の途中で彼らは他人の命をも奪います。それが、抜け出すための切符であるかのようにです。

ニーチェ

このような思考へのドアを開いたのはソクラテスかもしれません。ディオニューソス派 (生命)とアポローン派(理性)を区別しました。しかし、 ソクラテス式問答法(知識の実り=理性の獲得)と悲劇を説明し、理性を生命の上に置いたのはプラトンでした。

この区別と階層がキリスト教にも受け継がれています。キリスト教は、生は死への準備としています。

死は罰です。報酬は天国です。この考え方は、人間が経験している困難に完璧に当てはまります。飢餓、疫病、希望への渇望などによって損害を受けます。人は今苦しんでいるかもしれませんが、あとで褒美を得ます。でも、「十分に」苦しんだ人だけがその報酬を得ることができると考えるのです。

この見方は、人間へのモラル的な罰も意味します。人の一番の行いは、その人自身のものではないからです。だから次のようなことを言うのかもしれません。「どんなに困難な状況や悪いことにも良いことがある。」これは、全能の神が人間に悲劇を与える説明として利用されている正当化です。

人は自分たち自身で奴隷になり下がった

ニーチェの思想の根本に話を戻すと、これこそが知識より思想に基づいた私たちの価値の測り方を生み出した方法です。しかし、人間は賢く、暗黒時代は一生続くわけではありません…

人は、内にある深い感情から逃げるために最も有効な方法である、科学を発展させました。こういった意味で、ニーチェにとっては、すべての科学が洞窟から自分を掘り出すために最適なツールだったのです。

科学をモデルとして確立した時に人がのぞんでいたのは、わたしたちのために決められた運命を理解することでした。現在では、ビジネス界で消費者が次に何を買うかを予測するのに利用されているような考え方です。

ニーチェは、このような考え方にニヒリズムで対立します。これは彼の思想の基本となる考えです。彼の考えにおいて破滅的な部分でもあります。従来の知識とその結果、特に西洋の文化とその影響がみられる枠組みを否定します。

女性


ニヒリズム的な悲観主義とスーパー人間の到来

ニヒリズムの一部として、ニーチェはなぜ人が病気で、ギリシャで起こったことが悲劇の始まりなのかを示しています。彼の答えは、コペルニクス的なひねりのようであり、啓蒙時代や 人間中心主義に起こったことに似ています。しかし、それらとは全く異なる意味を有してもいます。

啓蒙主義の思想家と違って、ニーチェは科学が人を巣食うとは思っていませんでした。ニーチェは、より知的でダイナミックであるものの、科学はただの宗教の代わりであると考えていました。人の生に対する苦しみを暴いたのは宗教です。その結果、人の病気や最も基本的な本能の「抑圧」が明るみになりました。

宗教や科学(特に数学)の他に、病的な現代性を表しているとされるのが言語です。生を数字に置き換えようとしたように、生をコンセプトにしてしまおうとしたのです。

このような言語は、フィクションです。真実を見つけるために利用する集合的なツールです。そしてきちんと分類、対象化、定量化すべきだと私たちが考えるのは真実です。しかし、世界は本当にそのように機能しているのでしょうか?

この「病気」については理解できたと思います。ニーチェがその対応策として考えていたことは何でしょう?彼は、自分の価値観への投資とスーパー人間への移行にあると考えていました。スーパー人間とは、もう一度生きたいと思うような素晴らしい人生を生きようとする人のことです。

これは、ニーチェ派の思考のダイナミックな部分です。彼なりに疑問を投げかけ、人生を受け入れる方法です。


このテキストは情報提供のみを目的としており、専門家との相談を代替するものではありません。疑問がある場合は、専門家に相談してください。