人間の不条理を描いた映画:クローズド・バル 街角の狙撃手と8人の標的

2019年7月24日
「クローズド・バル 街角の狙撃手と8人の標的」は不条理で狂った出来事を描いた映画です。人間は極端な状況に置かれた時にどのように行動するでしょうか?

ビルバオ出身の映画監督アレックス・デ・ラ・イグレシアによる最新作2本が、同じ頃に上映されました。「クローズド・バル 街角の狙撃手と8人の標的」と「パーフェクトストレンジャー」は、どちらも2017年に上映されましたが、その反響は非常に異なるものでした。前者の興行収入がイマイチだった一方、後者は監督にとって、自身の最高総収入映画となりました。おそらくイタリア映画のリメイクである「パーフェクトストレンジャー」は、観客にとってずっと魅力的だったのでしょう。

クレイジーな事件が連続して起こるストーリーは魅力的ですが、非常に不合理になる傾向があります。個人的には、「クローズド・バル 街角の狙撃手と8人の標的」はかなり魅力的なストーリーで楽しく面白い映画だと感じました。しかし、つまらない、飽きてしまったと感じる視聴者もおり、監督の他の映画作品に比べてあまり輝かなかった映画と言えるでしょう。

ストーリー

いつもと変わらない朝、マドリードのとあるバルで、人々が朝食を食べています。バルの常連でお互い知り合いの人もいれば、たまたまバルやってきた人もいます。突然、日常の光景は悪夢に変わってしまいます。誰かが店の外で銃殺されてしまったのです。街の喧騒は消え、ひとけがなくなったように見えます。そして映画の登場人物たちは、バルの中に閉じ込められてしまいます。

この映画の脚本は非常におもしろく、それぞれの登場人物が社会を反映しているかのようにキャラクターを描いています。アレックス・デ・ラ・イグレシアは、マスクの背後にある真実、つまり私たちが社会で果たす役割の背後に隠している本質を捉えています。

バル:ノン・プレイス

私たちが映画の中で見るバルは他のバルと同じです。なんら特別なことはありません。近くに住んでいる人々が毎朝朝食を食べにくる地元のバルです。エレナのような人物は、通常では足を踏み入れることはない場所です。あの身近な限られたスペースの中で、それぞれのキャラクターが生き生きと描かれています。

マーク・オージェはフランスの人類学者で、「ノン・プレイス」という言葉を提唱しています。「ノン・プレイス」とは一体何でしょうか。それは一時的な場所であり、アイデンティティが現れない場所です。オージェは高速道路、ホテルの部屋、飛行機の中などを、「ノン・プレイス」として識別します。これらは、人々が短期間滞在する場所であり、他人と交流することがほとんどない、または意味のある関係を築くことができない場所です。

「ノン・プレイス」は、人類学的場所、アイデンティティが存在する場所の反対と言えます。「ノン・プレイス」は一時的なものです。そして現代社会を悩ませる空間でもあります。ある空間が「ノン・プレイス」であるかどうかは主観的です。その場所が個人にとって何を意味するかによって異なるのです。

クローズド・バル 街角の狙撃手と8人の標的

バルの設定

バルは、動きが止まることのない街の枠組みの中にある、「ノン・プレイス」です。多くの人にとって一時的で意味を特に持たない場所であり、ある人にとっては避難所となっています。登場人物のエレナは前者だと言えるでしょう。彼女は自分の携帯を充電するためだけにたまたまバルに入った若い女性です。後者にあたるのはトリニです。彼は毎日、スロットをしにやってくるお客です。

エレナとトリニだけが、その小さなスペースに閉じ込められたキャラクターではありません。全部で8人が閉じ込められてしまいます。アレックス・デ・ラ・イグレシアは、以前から映画で閉所恐怖症を描いています。「13 みんなのしあわせ 」や「グラン・ノーチェ!最高の大晦日」など極端な状況に直面する場所に人を閉じ込める映画作品は少なくありません。

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社会の見本としての集団キャスト

バルは現代スペインをよく表しています。 8人のキャラクターは多様です。:ホームレス、非常に不安定な若い女性、ギャンブルの問題を抱えている中年の普通の女性、若いヒップスター、アルコール依存症のため解雇された元警官などです。

状況がより絶望的になるにつれて、キャラクターは本性を見せるようになります。スペインの哲学者エウヘニオ・トリアスは、彼の作品「Philosophy and Carnival」でこれらの問題について述べています。私たちは慣習に従い、社会が私たちに課した役割に従って行動しています。しかし、私たちには複数の面があり、すべての状況で同じように行動するわけではありません。いつも同じように行動するわけではないのです。

これこそまさにこの映画の面白い部分です。たとえば、エレナが電話で友人と話すときと、バルに入ってきた時とでは態度や行動が異なっています。すべてのキャラクターはある種の二面性を持っています。つまり、日頃見せるイメージと他人から隠している部分です。

クローズド・バル

剥がれたマスク

この映画は私たちの社会を反映しています、日常的に当たり前に存在するバル、そして個性が急増する現代の都市も反映しています。興味深いことに、アイデンティティが常に最も安定しているのはイスラエル(ホームレスの男性)です。イスラエルは他の人々と同じ世界に属していないようです。彼は多くの困難を経験してきましたが、人をだまそうとはしません。

状況が絶望的に​​なるにつれて、ますます登場人物たちは生存のために必死になります。この場所では「自分一人のためにすべての人がいる」という哲学が優勢になり、マスクが剥がれ落ちます。これはまさに私たちの世界を取り巻く偽善を反映しています。しかし、イスラエルは仮面を脱ぐことはしません。少なくとも、積極的に行いません。どうしてでしょうか?イスラエルは誰かを喜ばせるために生きているわけではないからです。自分が誰であるかを偽ったり異なるキャラクターを演じることを日頃からしていないからです。

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結論

イスラエルは日頃からすでに絶望的な状況にあり、生存のために毎日戦っています。結果として、彼は仮面をかぶることはありません。終末論的、漫画的、そして悲劇的なものの間で、「クローズド・バル 街角の狙撃手と8人の標的」は人間の不条理を鮮明に描いています。そして、生き残りが道徳と社会規範よりも優勢である状況を提起します。人間がマスクを外すと、最悪の側面が見えてくるのです。

「欲望を従えなさい、そうすれば  人性に打ち勝ったことになる」

チャールズ・ディケンズ

  • Augé, M., (2009): Los no lugares: espacios del anonimato. Antropología sobre modernidad. Barcelona, Gedisa.
  • Trías, E. (1984): Filosofía y Carnaval y otros textos afines. Barcelona, Anagrama.