プラトニックラブとは?

16 6月, 2020
プラトンの哲学に通じる「プラトニック」という言葉ですが、この記事を読めばプラトンの愛に対する考えは少し違うことがお分かりいただけると思います。

プラトニックラブは、日常的な俗語としてよく使われる表現です。この言葉通常表されるのは、性的関係や恋愛関係にない友人2人の関係を表します。プラトンの哲学に通じる「プラトニック」という言葉ですが、この記事を読めばプラトンの愛に対する考えは少し違うことがお分かりいただけると思います。

愛は、非常に話題にのぼりやすいテーマです。長い間、そして今でも、詩人、作家、思想家、哲学者のインスピレーションの源となっています。そして当然、ギリシャの哲学者プラトンも例外ではありません。

プラトンに関して

プラトンはギリシャの哲学者です。ソクラテスの弟子で、後にアリストテレスの師となりました。彼が記したものは数多くありますが、中でも有名なのが『饗宴』や『洞窟の比喩』でしょう。『饗宴』には、愛に関する彼の考えが記されており、「プラトニックラブ」という考えが始まった場所でもあります。

プラトニックラブ

プラトンは、自分のために美しさを探求し経験するためのモチベーションを愛としました。まず、彼の哲学の主となる考えである二元論を通した美を理解する必要があります。二元論とは、私達のみる現実は、物質(身体)と非物質(精神)という決して混ざることのない2つの独立したものから成っているという哲学的概念です。

2つが一緒になることはありえますが、完全に混ざることはありません。プラトンは、人間は身体と精神から成っており、精神は思考の領域に、身体は物質的な世界に属すると考えました。精神は体の中から抜けられない状態で、2つは共存していますが、完全に独立したものなのです。

この哲学的概念がプラトンの愛にまつわる考えのベースになっています。しかし、多くの人がこれを誤解しています。そしてプラトニックラブを禁欲的でスピリチュアル的な愛だと思っています。しかし実はこれは間違いです。プラトンの愛に対する考えはもっと中立的な立場を示しています。愛は乱交でも禁欲でもなく、プラトンは安定の中に完全性をとらえます。

愛の概念には、様々な意味、感情、使い方があります。そのため、これをシンプルに定義することは非常に難しいことです。しかし、愛に関してひとつはっきりとしているのは、それが人と人との繋がりと関係する普遍的な概念であるということです

英語の“love”には様々な感情が含まれます。情熱的な欲求や恋愛の親密感、家族との性的な感情のない親密さなどです。また、宗教的な愛という深い献身も愛に含まれます。

どんな愛であっても、感情は非常に強いものです。基本的にそこから逃げ出すことはできないため、抵抗できない感情だと言うこともできます。プラトニックラブは実際、人との関係の中で非常に重要なパーツです。そのため、芸術のインスピレーションとなり、また心理学でも多くの研究が行われています

「愛には必ず狂気が存在する。そして、狂気には必ず何かしらの理由がある」

-フリードリヒ・ニーチェ-

プラトニックラブの裏にある考え方

ラブに「プラトニック」が付くと、プラトンと彼の哲学が関係してきます。ソクラテスの演説の中で、プラトンは愛は美を理解し経験したいという思いをかき立たせるモチベーションや衝動であると言っています。身体的な美をこえた形、永久的で理解可能な完全という考えを愛することを意味します(この中にプラトンは身体的な美も含ませています)。

言い換えると、愛は美の探求や経験への欲求から生じるとプラトンは考えます。身体的な美しさを感じる所から始まり、精神的なものへと移ります。つまり、最高地点は純粋で情熱的、私心のない美の真髄を知る所にあります。

お分かりいただけたように、プラトニックラブは、非恋愛的な愛とイコールではありません。難しいかもしれませんが、身体的な美を超えた愛に近いのです。また、性的な要素もあまりなく、プラトンにとって愛は相手に関するものではありません。美の真髄の超越へ向かうものだと彼は考えます。

そして、『饗宴』の中でプラトンはこう語っています。

「心の美しさは外見の美しさより素敵なものだと思う。高潔な精神に少しの身体的魅力があれば、人を愛し世話することに満足し、そして、求め、誕生の思考をもたらし、これにより若者は成長するであろう。しかしこれは制度や法律の美しさについて熟考を強いられるまでで、この美しさはすべて家族のものであり、個人的な美しさはほんの小さなことだと理解する」

プラトニックラブ

プラトンの考える美と愛

プラトンによると、私達は美に出会った時に愛を経験し始めると言います。そして当然、愛は美を探求し経験するよう私達を突き動かすものであるというプラトンの愛の定義を私達は考慮する必要があります。様々な美を経験する上で、次のような複数のステージがあります。

  • 身体的美しさ:これが最初のステージです。まず身体に愛を感じ、そして全般的な美しさの認識へと発展します。
  • 精神の美しさ:身体的美しさをもつ人を大切にするのと、恋に落ちるのとの間にある壁を超えると、内面に焦点を向け始めます。このステージには、道徳や文化的背景が関係します。物質(身体)を超え、非物質(精神)へと向かうステージです。
  • 知恵の美しさ:精神的美しさを認めると、知識や考えの愛への道に通じます。これは、あなたが愛する人を超越したものです。
  • 美しさそのもの:以上の3つのステージを超えると、最後の扉が開きます。美しさそのものの愛を経験する時です。これには、主観や客観というしがらみはありません。これが愛の最高地点です。

最後のステップでは、情熱的、純粋、無私に美しさを経験します。消えることのない、また時間とともに変わることのない感情がここにはあります。これは、非恋愛的な愛ではなく、思考や、完璧で、永久的、理解可能な形を認めることです

私達はなぜ、プラトニックラブを非恋愛的な愛だと考えるのか?

「プラトニックラブ」という表現を最初に使った人物はマルシリオ・フィチーノで、15世紀のことです。人の知性や性格の美に焦点を当てた愛を彼は意味したのであり、身体的な見た目は含まれていませんでした。これは思想の中にのみ存在するもので、完全で壊れることのないような愛でした。

プラトンによると、純粋なこの感情に到達することは不可能だと言います。それは、愛は興味ではなく美徳であるためです。つまり、完璧な愛を意味するのですが、完璧とは一種の幻想です。完璧は思想の領域にのみ存在するもので、現実の世界に完璧なものはありません。

もう少し、シンプルにお話しましょう。基本的にプラトニックラブとは、性的な欲求のない理想的な愛のことです。そのため、日常的にこの言葉が使われる際には、友人に向けた非恋愛的愛で、当然それは非性的なものを意味することになるのです。

この表現は、プラトンの愛に対する考えと似ています。しかし、真のプラトニックラブに値するものを少しかすっただけです。まったく違うわけではありませんが、現在使われているプラトニックラブはプラトンのプラトニックラブとは異なります。

プラトニックラブ

プラトニックラブとは?

美しさとは、公正、良心、真実と同義だとプラトンは言います。そして愛は、美しさ、公正、良心、真実に関わるものなのです。基本的にプラトニックラブは、自分にはない精神を相手に見出すことと関係します相手は、あなたが良い、美しい、正しい、公正であると考えるものを表しているのです

プラトニックラブは、私達が思っているような非恋愛的で、友人関係のような愛とは少し違います。もっと中立的で、性的な面があっても、そこが焦点ではないものです。人の体だけではありません。相手の精神や思想に恋することです。しかしこれは、身体的、性的な面を排除するという考えではありません。これらも含まれますが、愛はこれらを超越するということです。