リバー・フェニックス:真の反逆児

2019年9月18日
彼を現代のジェームス・ディーンと見る人もいますが、実際は、その死が暗い性質を持っているにも関わらず、いつも親切で、献身的で、誰に対しても敬意を持って接する人物だったと言われています。

今回は、近年の映画史上に残る、最も有望だった一人の俳優の話をします。彼の悲劇的な死とそれを取り巻く状況により、彼について、そして彼の人生がどのようなものであったかなどについて多くの人が間違ったことを述べています。

リバー・ジュード・フェニックスは、アメリカの人気俳優でしたが、1993年に23歳の若さで亡くなりました。

リバーは、その素晴しい才能と同様に、多くの人を惹きつける魅力的な見た目で人気を博していました。

しかし、彼の死につながった薬物の過剰摂取により、彼の人生が「正直」なものでないと世間は手のひらを返しました。悲しいことに、このような死因を持つ暗い死が、本来とは違う虚偽のイメージをもたらしたハリウッドアイドルは、リバー・フェニックスが最初ではありませんでした。

「リバー(川)」という珍しい名前は、ヒッピーであり活動家であった彼の両親が名付けました。

彼の人生を取り巻く人々や状況により、彼を現代のジェームス・ディーンと見る人もいますが、実際は、その死が暗い性質を持っているにも関わらず、いつも親切で、献身的で、誰に対しても敬意を持って接する人物だったと言われています。

リバー・フェニックスは、1970年8月23日に生まれました。

幼い頃から、演技、音楽、執筆などのあらゆる種類の芸術的活動において、その才能を示し、環境や社会的な正義への関心が強い活動家でもありました。

若い俳優であったリバー・フェニックスは、人々の平等と敬意、そして環境のために積極的な活動を行いましたが、彼の人生を語る上で、この点はあまり注目されていません。

その代わりに、セックスシンボルとしてパパラッチなどの不要な人々に常に追いかけられる生活を送っていました。

彼の死後も、このような負のイメージにばかり目を向ける人が多く、彼が行った慈善事業などのポジティブな活動に注目する人は多くありません。

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スタンドバイミー リバーフェニックス

リバー・フェニックス:人生とキャリア

家族の中では、彼だけが斬新な名前をつけられていたわけではなく、彼の弟や妹も、レイン、ホアキン、リバティー、サマーという名前です。

リバー・フェニックスは、オレゴン州にあるマドラスという町で生まれ、1993年10月31日にカリフォルニア州のウェストハリウッドで亡くなりました。

公式の情報によると、その死因は死に至るほどの薬物の過剰摂取でした。

リバー・フェニックスは、仲の良かった友人であるジョニー・デップが当時所有していたバー「ザ・ヴァイパー・ルーム」を出る途中で倒れて意識を失いました。

合計で24の映画とテレビ番組に出演したリバー・フェニックスのキャリアは10歳から始まりました。最初はいくつかのコマーシャルに出演していましたが、すぐに10代のアイコンへとなりました。

彼自身は、10代のアイコンであることを喜んでいませんでしたが、それは彼のキャリアを通じてずっと彼について回ったイメージでした。

彼は、とても謙虚で勤勉で、そしてすべてに対して献身的な人でした。彼の大きな野望の一つが自分の才能を人々に認知してもらうことで、彼はこれを実現する多くの機会に恵まれました。

彼のヒット作には、史上最高の映画の一つと言われ、成長する少年たちを描いた「スタンドバイミー(1986)」、そしてアカデミー賞最優秀助演男優賞にノミネートされたアドベンチャー映画である「旅立ちの時(1998)」などがあります。

彼の最後の映画となった「ダーク・ブラッド」は、彼が亡くなったときもまだ撮影中だったため、長い制作過程を経て、2012年に公開されました。

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リバー・フェニックスの知られざる一面

リバー・フェニックスの死後も、人々は彼の才能について高い評価を与え続けています。

彼が俳優として大きな可能性を秘めていたこと、そして映画史上最高の俳優の一人になれたであろう可能性については、誰もが認める事実でしょう。

このように多くの人に知られている事実以外にも、実はリバー・フェニックスには知られていない本質的な部分があります。彼の映画における役割ほど重要なことではありませんし、パパラッチも興味を持たなかった彼の一面です。

リバー・フェニックスは、動物の権利などをはじめとする様々な日々の問題を政治的な側面からサポートしていました。

数え切れないほどの募金活動を行ったりPETAの大使としての役割果たしていただけでなく、1990年には、アースデイ(地球の日)に関する記事を書きました。

この記事はアメリカのSeventeen(セブンティーン)誌に掲載され、彼の若いファンたちをはじめとする何千人もの人々にメッセージを届けることができました。

さらに、人道的および環境的な目的の団体やチャリティーに多くの寄付をすると同時に、様々な啓蒙イベントに登場してスピーチを行うことで、大切な意識向上キャンペーンを先導しました。

またいくつかの政治グループの集会に参加して支援を表明していました。

10代の時には、森林破壊の危険にさらされているコスタリカの土地800エーカーを購入したり、ヴィーガニズムの信者でもありました。

リバー・フェニックス

結論

ジャレッド・レト、ジェームズ・フランコ、そしてレオナルド・ディカプリオなどのキャリアに、リバー・フェニックスが大きな影響を与えたと言っても過言ではないでしょう。

これらの俳優たちは、リバー・フェニックスが、非常に才能があり有名であるだけでなく、知的で世界を深く気遣って多くの人のために道を開拓するサポートをした人だと話します。

リバー・フェニックスの考え方や感情が本物だったことを表すために、彼の最初のガールフレンドが語った話をご紹介します。

「15歳の頃、私とリバーはマンハッタンで豪華​​な夕食に出かけ、私はソフトシェルクラブ(脱皮直後のカニ料理)を注文しました。彼はすぐにレストランを出て、パークアベニューを泣きながら歩いて行きました。私は外に出て、「あなたをとても愛しているのに、どうして…」と尋ねました。彼は私が動物を食べていたので、激しい痛みを感じたと言いました。」

リバー・フェニックスは、ジェームス・ディーンのような「理由のない反逆児」と呼ばれることがありますが、彼は真の反逆者でした。

有名人を取り巻くすべての期待とステレオタイプに負けないように、自分が大切であると感じる価値あるものために精力的に戦いました。

お金、名声、または評判を追い求めることなく、自分の人生を生きた俳優、それがリバー・フェニックスです。