サッカーと同じくらい教育に情熱的になりたい

· 2018年2月2日

いつか教育がサッカーと同じくらい情熱を傾けられるものになればいいなと思います。教育がもっと関連性を帯びて特別になり、子どもたちが質の高い教育を受けられることができるといいなと思います。 最後の数秒のゴールで得る感情と同じ感情を呼び覚ましてくれるような教育です。

教師の職業がもっと考慮され、賃金も上がり、先生たちを安心させてあげられたらいいなと思います。子どもたちの本当のポテンシャルを見ることができたらいいのにと思います。可能な限り最高の教育材料を政府が先生に供給することができればいいのにと思います。そうすることで、もっと個人化された方法で教育を行うことができ、個々の生徒の強みを享受し高めることができます。

 

質問をし読書への情熱をみせる若者が、自分の親や社会がスポーツのスター選手に抱くのと同じような希望を抱けるといいなと思います。新しい発見に関するニュース記事が、重要な試合に関する見出しと同じくらい、期待され、掲載されるようになればいいのにと思います。

木の下で読書

これらの想いを読み、考えてみながら、食べ物すらない子どもたちがたくさんいることに思いを馳せます。借りた本を読むのに地面のきれいな場所を探す人がいますか?自分のノートを見て、何が起こっているかわからない人がいますか?たくさんの子どもたちが数学に苦戦しています。たくさんの理解できない分析があります。知らない戦争がたくさんあります。前に進み生き延びるために無視してきた戦争、偏見、思い込みがあります。

かなりの数の世界の教育システムは、不十分で不適切です。勉強時間を学校の時間に制限し、子どもたちの知識を高め促進するためにそれに則した教育法をとっていません。方法は違えども、悪い教育は先進国にも貧しい国と同じくらいあります。

『ドクターサッカー』効果

これは、健康分野におけるちょっと使い古されたコンセプトです。大きな試合の日や重要な大会の日は救急処置室が空っぽです。わたしたちの情熱に関する事実を明らかにしてくれる面白い現象です。

スペインでは、この事実に関していくつかの研究がされてきました。そこで導き出された結論は、少なくとも試合の日は救急処置室に運ばれる患者が35%少ないということです。小さな病気などで殺到する人を含めれば、パーセンテージはさらに高くなります(45%)。違いは明白で、これはわたしたちの習慣に疑問を投げかける結果です。

これらの習慣は次の質問で振り返ることができます。なぜわたしたちは最初の言葉を発した瞬間から子どもたちに実用的な質問をするのか?どのチームに入りたい?』わたしたちは子どもがサッカーに興味があるかなんて考えても見ないのです。わたしたちは、子どもたちに答えるよう「強制」し、彼らのゴールを決めてしまいます。

ハートの入った瓶を抱える少女

教育は社会の基礎

フィンランドの教育システムの成功の秘密は、それが先生にも留意することに特徴づけられている点にあります。厳重に選択され、方法や材料を十分に与えられているため、先生はすばらしい指導者になることができます。

教育は、個々のポテンシャルに基づき子どもを導く必要があります。適応力のない一般的なトピックでは無く、個々の生徒が自分自身の改善を達成することを目的とすることです。一般的なものは、いらだち、退屈さ、ひどい成績、数値化することができない社会・種族全体としての損失しか導きません。

最もいい教育システムは、カリキュラムを個人化し、曲げたりして、生徒たちをさらに先へ進ませ、より良い結果を生み出せることです。つまり、教育的な約束を、スキルとポテンシャルに基づき現実にすることです。

ハンモックの子供

これは、子どもがスポーツのことでワクワクするのを止めるべきということではありません。楽しいだけでなく、スポーツは価値観を得るためにも重要であることを認めないのは頑固すぎます。メンバーが協力の重要性を理解しなかったら、いいチームにはなりません。パーツのつなぎ合わせより、全体としてまとまるほうがいいとするゲシュタルト原理を実践しなければ、いいチームにはなれません。

我々の教育システムが生き延びたのは奇跡

教育は、世界のどこでも不完全なように思われます。アインシュタインは、人類の好奇心が公式な教育を生き延びたのは奇跡だと述べています。

何かが欠けており、新しい・最新ではない点に関しては彼の言ったことは正しいでしょう。そうでなければ、なぜ4歳の子どもが100個の質問を毎日して、10歳のこどもはテストの答えばかりを気にするのでしょうか?その答えは簡単です。社会として、わたしたちは子どもの翼を切り取ってしまっているのです。これは、学校だけの問題ではありません。

水たまりに飛び込む子供

学びを得ることができる方法で子どもたちは教えられなくてはいけません。子供自身の能力やスキルに合わせて形成された道です。なぜなら結局は、わたしたちの本当の権利は同等になることではなく異なることであるということに気づくことが大事だからです。そしてそのように扱われるべきです。その第一歩として教育があります。