先生のみなさん!授業項目だけがすべてではありませんよ!

· 2018年9月13日

生徒の反感を買い、生徒と口論になるような先生がきっといたと思います。これは大いに改善の余地がある態度であり、先生自身が生徒のように振舞うこともよくあるようです。一方、教室に入ってきてから一つも説明をせず、教科書を読むだけという先生もいます。また、すべてをカバーする時間がないからといって、いつも急いでいるように見える先生もいます。

しかしどの先生も同じようなものです。生徒に好かれる先生もいれば、そうでない先生もいますが、その目的はただ授業の項目を教え、成績に極端な注意を払い(高ければ高いほど良い)、生徒が知識を得て何かを学ぶことを期待して、おびただしい量の宿題を与えることだけであるようです。これらすべてには何かが欠けていないでしょうか?

「何か言われても忘れてしまう。見せてもらえたら私は記憶できる。関わらせてもらえたら、私はそれを学ぶでしょう。」

 

授業の項目だけが重要なことではない

先生の多くが、授業項目を教え、目標を達成し、教科書を終わらせることだけを望んでいます。しかしこれで達成できるのは、若者の創造性を破壊することだけです。学ぶことからは程遠く、生徒はできるだけたくさんの情報を覚えようとするだけです。そしてたいていの場合何が起こるかというと、翌月か翌週にはほとんど全て忘れてしまうのです。

これは多くの先生が文句を言っていることでもあります。しかし、自分のやり方が正しいかどうかをわざわざ分析する先生はほとんどいません。成績に重点を置きすぎており、特にティーンエージャーに対してはほとんど共感しません。先生が生徒に与えるべきポジティブな影響の重要性がしっかりと吟味されていないのです。

先生と生徒の距離

教室に入ったとたん、先生という仕事の最も人間的な部分を忘れてしまう先生もいるようなのです。ティーンエージャーを担当しているときは特にそうです。いじめやいやがらせの報告があったときに、先生がそのことを信じられなかったり、何も気づかなかったと言うのは珍しいことではありません。自分の仕事と生徒に対して本当に無関心でいれば、それは驚くべきことではありませんね。

最高の先生

しかし、生徒たちに情熱や激励を全く与えない先生が多くいる一方で、いい先生もいます。これは、2013年8月13日のスペイン語の新聞「エル・パイス」に載った、カルロス・アローヨという男性の記事の一部です。

「私の人生で最高の先生はドン・マニュエル・ベリョ先生です。先生は私が高校5年生のときの文学の先生でした。(中略)先生は、私を読書と勉強することが大好きにしてくれました。ほとんど教育などなかった当時の息の詰まりそうな環境の中で、先生になりたいという若者は沢山いましたが…この先生は違いました。素晴らしく自然な方法で、本を読み勉強するモチベーションを私に与えてくれたのです。」

どんな先生に教えてもらうかで、最初は算数が大好きだった生徒が結局は嫌いになってしまうこともあります。文学の先生が自分の仕事についてとてもネガティブだったために、作家になりたいという情熱を持つことができなかったという人もいるかもしれません。先生が生徒の自尊心に影響を与えるということは明確です。

先生は生徒を変えることができる

家庭でのポジティブ、ネガティブな批判が子どもの態度に影響があるのと全く同じように、教室の中でも同様のことが起こります。先生が生徒のことを信じていないと、生徒にモチベーションを与えることもできませんし、状況が自然に変わるということはありません。文句を言っても仕方がありません。先生は、使いたくない、または自分が気付いてもいないような力を持っているのです。

先生の力

これらすべてを私個人の経験から保証することができます。私も(多くの先生が忘れてしまうことですが)かつて生徒だっただけでなく、中等教育の先生として一生懸命働いた経験もあるのです。私は、自分の指導官が生徒との距離を作ってしまうときに使う言葉に気が付きました。それは、「この子に何をしても意味がない。教科書すら開かないんだから。」です。

ましな子もいますが、私の指導官は反抗的なティーンエージャーの大半を、ばかで手に負えない子供だとだけ思っていたのです。そういった視点は私の中には全くありませんでした。彼ら全員を知っていたわけではありませんでしたが、多くの生徒が不安を感じ、モチベーションがなく、自尊心にかけていることがわかりました。彼らに質問しなくとも、家庭での生活におそらく問題があるんだろうということが見て取れたのです。

興味深いことに、そのクラスを私が2カ月間担任すると、教科書を開いたこともなかった男の子が、教科書を開いてくれました。私は彼のことを決して無視せず、もちろん彼の悪口も言いませんでした。彼がやりたくないことを命令したこともありません。ただ単純に、何かが起こったのです。

私のクラスとの接し方と生徒に渡した情熱が、効果を発揮したのです。生徒たちは教室の前の方に来たがり、みんなの前で話したがったりさえしました。問題児も他のクラスメートが自分の課題をいかに簡単そうにやっているかを見て、いつのまにか、自分の意思で教科書を開き、ペンを取り、私がクラスに書くようにお願いした作文を書き始めたのです。

全てが可能

私の指導官は開いた口が塞がりませんでした。彼は私が不可能を可能にしたと言いました。私のたった一つの懸念はあの男の子だけでしたが、彼の作文には、私がずっとそうではないかと思っていたことが書かれていました。それは、彼が崩壊した家庭に暮らしているということです。残念ながら、私はそこで教え続けることはできませんでしたが、このことを通して、先生には生徒の態度を変える力があるのだということを学びました。

「二流の先生は話す。いい先生は説明する。素晴らしい教授は見せてくれる。本当に最高の先生は激励してくれる。」
―ウィリアム・A・ワード―

私の指導官は、生徒に黒板の前まで来させてグループで課題を行うことにポジティブな影響があったと教えてくれました。しかし同時に、長い目で見るとそうすることで授業項目を終わらせる時間が無くなってしまうとも言いました。そこで私は自問自答したのです。重要なことはなんだろう?楽しみながら学び、クラスメートと学習することだろうか?学習項目(ほとんど忘れてしまうもの)を単純に終わらせ、彼らの創造性を失わせることがいいのだろうか?

教育で本当に大切なことは?

私たちは教室を大きく変革させる必要があります。モンテッソーリ教育を実施している学校や、バルセロナの私立学校エスコーラ・サダコのように個人の机がなく、協力学習と感情、社会、哲学的教育に基づいた教育をしているところもすでにあります…しかしほとんどの学校は、伝統的な教育法に支配されています。一つのモデルが全員に対してうまくいくことはありません。授業項目は大切ですが、それが全てではないのは確実だからです。