社会道徳がいかに暴力行為の正当化を助長しているか

02 6月, 2020
一度立ち止まって自分たちが暴力的行為の原因としてどんなものを非難する傾向があるか観察することで、道徳的配慮の正確な全体像がいくらか見えてくるでしょう。

社会道徳とは、社会的に確立された道徳に基づく規範を、人々がどの程度遵守しているかを指す言葉です。そして道徳とは、私たちが従うべきとされている一連の規範や価値観をまとめたものを指します。つまり、私たちは日常生活において、自分が他者と調和的に暮らしていくためにふさわしいと考える様々なルールに従っているということです。

では、暴力に関する社会道徳についてはどうでしょう?これは、暴力を防ぐために尊重すべき社会規範となっているはずですよね。一度立ち止まって自分たちが暴力的行為の原因としてどんなものを非難する傾向があるか観察してみれば、前述の道徳的配慮の正確な全体像がいくらか見えてくるでしょう。

公正世界仮説

公正世界仮説理論は、暴力に関する社会道徳の程度を知るための格好の指針となるでしょう。これは、人間は公正な世界に住みたがるものだ、という一般的な考え方に基づいたものです。言い換えると、私たちは心を平和に保つために、「全てのことには理由があるのだ」と信じ込む必要があるということです。

もし私たちが特定の犯罪を、ちょっとした弾みでやってしまったことだ、運が悪かっただけだ、などと見なしてしまえば、それはつまりどんな人でも被害者になり得るという意味になってしまいます。しかしこのような考え方は人々を不安にさせます。一方で、もし私たちが犯罪を他の人々のせいにすれば(例えばその人が物盗りをしたのは被害女性が危険な場所にいたからだ、など)、私たちは自分が暴力の被害に合う危険性は少ないと思い込むことができるということです。

社会道徳 暴力行為 正当化

私たちのこのような捉え方は認知の歪みに基づいたものです。つまりこれは社会認知が象徴的に再解釈されたものであり、以下のような考え方がその前提となっています。

  • 被害者が悪い(間抜け、あるいは注意不足):被害に遭った人物の価値を低め、ネガティブに捉えます。私たちはその人物について、特にパーソナリティに関することを邪推してしまうのです。つまり、被害者はそのような性格だったのだから被害に遭ってしまうのも仕方のないことだった、という風に考えてしまいます。
  • 被害者の振る舞いが悪い:何らかの行動に関して被害者を非難します。例えば、街中で財布を盗まれると、人々は「ここは大都市なのだから君はもっと気をつけなくてはいけないよ…」というようなことを言うのです。

正当化のテクニック

前述の通り、社会には一般的に受け入れられている価値観というものが存在します。しかしまた、別のタイプの「地下に潜む」価値観もあるのです。なぜこのような表現を使ったかというと、実は考え方はシンプルで、これは多くの人々が理解していながらも、一般的な価値観とは相容れないために外在化できていない価値観だからです。

SkyesとMatzaが、自身の中和理論の中で初めてこの考え方を紹介しています。通常、このテクニックを使用するのは犯罪者自身です。犯罪者はこれを、自らの行動がもたらす結果を緩和させるために用います。

しかし、中には身近な事件に関して自分の意見を言うためにこれを利用する人々もいるのです。加害者を正当化するために前述のテクニックを使います。

以下が、このテクニックの一部です。

  • 犯罪の否定:ほんの少額のお金だったのだから、盗難とは呼べないよ…、この時間帯に高速を走っている人などいないのだから速度を上げても構わないだろう
  • 被害者の存在の否定:私は誰のことも傷つけていない…
  • 非難する側の人間を責める:政治家は市民よりも多くの盗みを働いている。
  • 大義のためだ、と動機を訴える私がこれをしたのは○○のためなのだ。
  • その行動の必要性を正当化する:他にはやり方がなかった…
  • 何らかの価値観を守る:彼は信頼できる人間ではなかった…
  • 正義の否定:常に敗者は存在するものだ…
  • その行動の正当化:誰でもみんなやるだろう…
  • 権利の主張:他の人に煽られたからやっただけだ…彼女は僕のものだ、だから殺したんだ。
社会道徳 暴力行為 正当化

社会道徳の打算性

上記全ての具体例は、実際の生活のたくさんの場面で見ることができるでしょう。それが、人々が犯罪の被害者を非難する場面です。加害者に対してではなく、潜在的な被害者を対象としたセクハラ予防策のような対策が存在するのは、これが理由なのです。これらの予防策は、人々のライフスタイルあるいは選択がハラスメント被害に遭う理由になり得ることを暗に示しています

一部の人々は、暴力行為や反社会的な行動の原因を被害者側の行動あるいは服装などのせいにします。道徳的観点から言えば、社会は被害者の行動の方を犯罪だとみなしているということです。つまり、社会が不適切だと考えるような行動を被害者がすれば、加害者側の行為は正当化されてしまうのです。実際には道徳的に誤っていることが、まるで当然の結果であるかのように思われてしまっています。

社会における道徳性というのは、人々の良い行い、つまり全員が従うべき行動パターンやルール、そして行動規範のもとに成り立っています。そして、もし誰かが社会が不適切あるいは確立された規範に合っていないと考えるような行動をとれば、その行動こそが暴力の原因と見なされてしまうのです。時には、こういった暴力行為がまるで避けようのなかった結果であるかのように考えられてしまうことすらあります。