スターリンの娘スヴェトラーナ・アリルーエワの人生

2020年2月6日
スヴェトラーナ・アリルーエワの人生は、家族が人にどのように影響を残すかを示す一例です。彼女の父親は共産主義者に尊敬され、資本主義者に憎まれました。そしてスヴェトラーナは政治的汚名から逃れることができませんでした。

スヴェトラーナ・アリルーエワは、恐ろしい人物ヨシフ・スターリンの心を溶かした数少ない中のひとりでしょう。しかしそれは彼女が幼い時のことです。当時、一緒に遊んでくれた優しい父親と、自分の土地を恐怖に陥れたロシアのリーダーとしての人物が同じ人だと信じることは、彼女には不可能でした。

スヴェトラーナは60年代にソビエト連邦を去り、アメリカに亡命を要求することで世界を驚かせました。アメリカは父親の最大の敵国のひとつです。ここから、彼女は冷戦のプロパガンダとして使われることとなりました。父親が率いた政権の信頼を落とすため、彼女は使われたのです。

スヴェトラーナ・アリルーエワが経験した苦しみと矛盾は、彼女が何度も名前を変えたことからもわかります。生まれた時はスヴェトラーナ・ヨシフォヴナ・スターリンと名付けられましたが、父親の名字を変え、スヴェトラーナ・アリルーエワにしました。そ最終的にはこの名前の使用をやめ、ラナ・ピータースへと改名しました。

スターリン スヴェトラーナ

 

スヴェトラーナ・アリルーエワの幼少期

スヴェトラーナ・アリルーエワはヨシフ・スターリンの一人娘です。彼には他に2人の息子がおり、一人は最初の結婚で、もう一人はニ度目の結婚で授かった子です。ニ度目の結婚相手がスヴェトラーナの母親で、ナジェージダ・アリルーエワです。スターリンの人生を研究する伝記作家は、このリーダーの心をあたためたのは、3人だけだと指摘します。その一人は、スターリンの母親ケテワン・ゲラーゼです。

彼の心を温かくしたもう一人の人物は、最初の妻エカテリーナ・スワニーゼです。彼は彼女を心から愛していましたが、エカテリーナは若くして結核で亡くなってしまいます。エカテリーナが亡くなってから、彼は人が変わったとも言われています。そして彼が愛したもう一人の人物が娘スヴェトラーナです毎日優しくしれくれた父が、ロシアの歴史の中でもっとも残酷な人物の一人だなんて、スヴェトラーナは夢にも思いませんでした。

スヴェトラーナは、まるで他に世界は存在しないかのようにクレムリンの中で教育を受けました。外の世界で起こっていることを完全に無視するように、象牙の塔のような場所で暮らしていました。彼女を育てたのは乳母です。父親と過ごす時間はあまりありませんでしたが、娘をどんなに愛しているかいつも伝えられていました。実際スヴェトラーナは母親との方に距離があったようです。

 

母親の不在

スヴェトラーナ・アリルーエワが6歳の時、実の母親は突然亡くなりました。公式な資料では、虫垂炎のため亡くなったと記されています。

しかし、スヴェトラーナの母ナディアの死は、自然なものではなかったことを示す十分な証拠もあり、真実は分かっていません。スターリンと本気の恋に落ちたのは間違いありません。ただ、大学に行ってスターリンがロシアで行っていることを知り、失望しました

ナディアは、スターリンに向かって「殺し屋」と叫んだ数少ない人物の一人です。死の前日、スターリンと激しい討論をしました。彼は公の場で彼女に身体的暴力をふるっていたと証言する人もいました。

次の日、彼女はベットの上で亡くなっていました。胸には、弾丸がありました。多くの人が彼女は自殺したのだと考えましたが、夫に殺されたのだと思った人もいました。スヴェトラーナは強制的に公式の情報を信じさせられました。

スターリン スヴェトラーナ

 

悲しい目覚め

スヴェトラーナ・アリルーエワは成長する中で、思ってもみなかったことが国内では起こっていることを知ります。彼女は16歳になるまで、父親と愛のある近しい関係を保っていました。この頃にはすでにスヴェトラーナは英語を習得していました。そしてある日、彼女の母親が自殺を図ったと記された英語の記事を見つけました。

このニュースが、彼女に優しかった父親への大きな反抗のきっかけとなります。後に、彼女は年の離れた年上の映画監督と恋に落ちます。しかしスターリンはその関係を認めませんでした。そして2人の関係を終わらせるため、部下に彼を逮捕させシベリアへと送りました。19歳の時、彼女は結婚し、子どもを授かります。この結婚は恐らく父親への反抗として行ったのでしょう。これが彼女の4つの短い結婚の最初で、その中であと2人娘を授かっています。

父親が亡くなった時、彼女がこの指導者のプライベートについて語ることは許されませんでした。父親に対する彼女の気持ちは、常にはっきりとせず、スターリンを愛すると同時に憎んでいました。およそ14年後、スヴェトラーナはひとりインドに旅に出ます。16歳と19歳の娘を残して行ったのです。1967年4月、彼女はアメリカに行き、作家として働きました。彼女の自伝には、300万ドルが支払われました。

その後再婚し、娘オルガをもうけました。その離婚が成立した後、複数国籍を取得していますが、これらはすべて彼女につきまとった政治的偏見によるものです。1991年スヴェトラーナは自殺を図りますが、未遂に終わっています。そして2011年、癌で亡くなりますが、死後に自分の遺体をロシアに送らないよう皆に伝えてたそうです

Cardín, A. (1983). Moscú sí cree en las fiestas. Los Cuadernos del Norte: Revista cultural de la Caja de Ahorros de Asturias, 4(20), 24-29.