スヴェトラーナ・アレクシエーヴィッチについて学ぼう

08 12月, 2019
スヴェトラーナ・アレクシエーヴィッチが書いた本は、そのほぼ全てが権力と問題を起こすものとなっています。彼女は、重要な歴史の出来事の裏であった人間のドラマを記録することにその身を捧げた尽力的なジャーナリストです。この記事を読んで、彼女のことをもっと知りましょう!
 

2015年にノーベル文学賞を受賞するまで、スヴェトラーナ・アレクシエーヴィッチの名は聞いたことがなかったという人がほとんどでしょう。調査もののノンフィンクション本でジャーナリストがこの賞を受賞することは史上初のことでした。

それまで詩人やフィクション作家がこの賞を受賞してきましたが、スヴェトラーナ・アレクシエーヴィッチの作品は現実の人と現実の出来事からインスピレーションをうけたものです。彼女は、ソビエト社会と彼女の母国であるベラルーシの現実を誰よりも鋭く捉えました。

「でも、私はただ出来事や事実をドライに記録しているわけじゃありません。人間の気持ちの歴史を書いているんです。」

―スヴェトラーナ・アレクシエーヴィッチ―

彼女の著書で最も有名な作品、「チェルノブイリの祈り」は20カ国語に翻訳されましたですが、アレクシエーヴィッチの母国では誰もこの本を読むことができません。政府が禁止したからです。その事実だけでも、この偉大な現代作家がいかに重要な人物であるかを物語っています。

スヴェトラーナ・アレクシエーヴィッチ

幼少期がこだまする

スヴェトラーナ・アレクシエーヴィッチはスタニスラウというウクライナの街で偶然生まれました。偶然と表現したのは、ベラルーシ軍の隊員であったスヴェトラーナの父が一時的にこの地に配置されていたためです。アレクシエーヴィッチは、幼少期と成人期の大半をこのスタニスラウで過ごしました。

 

スタニスラウという場所はその土地自体が不安定な歴史を物語る場所です。スタニスラウは、オーストリア=ハンガリー帝国の一部でしたがその後、西ウクライナ、ポーランド、ソビエト連邦、ドイツ、そして最後にはベラルーシに属しました。スタニスラウは今では存在すらしません。今は、イヴァーノ=フランキーウシクという街になっています。

アレクシエーヴィッチは1948年5月31日に生まれました。母は田舎の教師で、父も(軍隊所属に加えて)そうでした。幼少期と青年期には不安定な政治が彼女に影を落としました。後に、彼女はベラルーシ国立大学にてジャーナリズムを学びます。

スヴェトラーナ・アレクシエーヴィッチ:大胆不敵なリポーター

アレス・アダモヴィッチという著名なソビエトの作家は、アレクシエーヴィッチに多大な影響を与えた人の一人です。彼は、「小説的証拠」、「集合的小説」、「叙事的コーラス」あるいは「小説オラトリオ」と呼ばれる新しいジャンルを開発した作家の一人です。このジャンルは、ジャーナリズムと文学の融合です

数社の新聞社で働いた後、アレクシエーヴィッチはより深いプロジェクトに取り組むようになります。その後、彼女は尽力的な旅人となり、大きな歴史的事件の生存者から証言を得るために国境を渡っていきます。彼女が素晴らしいリポートを書き始めたのはこの時です。

1985年、処女作「戦争は女の顔をしていない」を出版します。この作品には、第二次世界大戦を生き抜いた女性との膨大な数のインタビューが記録されています。この本が出版された頃、彼女は勤めていた新聞社から解雇され、ソビエト国家の名誉を傷つけたとして非難されました。

 

勇敢な女性

1989年、スヴェトラーナ・アレクシエーヴィッチは500回ものインタビューを行った後、「アフガン帰還兵の証言」を出版しました。彼女がインタビューしたのは、ソビエト軍によるアフガン侵攻に参加した人達でした。著書の中で、彼女は多数にのぼる人権侵害のケースを糾弾しています。この行為の結果、彼女は裁判に出廷するように権力から強制されました。

彼女が声を大にして行ったソビエト連邦への批判は、1991年に政治難民として国を逃れざるを得ない状況に彼女を追いこみます。それ以降、彼女はヨーロッパの様々な国で暮らすことになります。

1997年、アレクシエーヴィッチは傑作である「チェルノブイリの祈り」を出版します。この書の中で彼女は、チェルノブイリ原子力発電所事故の被害者の証言を紹介していますこの本のために資料を全て集めるのに10年もの時間を要しました。彼女のこの本は、この災難時に権力がおかした深刻な過ちを白昼の下に晒すことになりました。

スヴェトラーナ・アレクシエーヴィッチ

失望と栄光

スヴェトラーナ・アレクシエーヴィッチの著書は人間のドラマとその末路を深く描いています。彼女の作品は、特にソビエト連邦に関わる偉大な歴史的瞬間の深い矛盾を伝えているため、感動的なのです。

 

こうした出来事はアレクシエーヴィッチに直接影響を及ぼしました。彼女自身、戦争と動乱の被害者でした。アレクシエーヴィッチは幼い頃、両親と共に戦争から逃れてきました。大人になると、チェルノブイリの災害で母は盲目になり、母方の叔母を亡くしました。また、彼女自身も亡命や祖国へ帰れない悲しみで苦しんでいます。

アレクシエーヴィッチは、執筆する中で、多くの賞を受賞してきました。前述した通り、彼女は(今のところ唯一の)ノーベル賞を初めて受賞したノンフィクション作家です。彼女は今日も執筆を続け、人間の善悪を理解しようとし続けています

 
  • Ánjel, M. (2015). Sobre Svetlana Alexievich. Antes de todo, la memoria (O de cómo una periodista rusa (¿ucraniana?) atrapa lo que no se quiere decir y es imposible de olvidar). Comunicación, (33), 83-91.