『トレインスポッティング』と依存症による影響

2020年6月26日
『トレインスポッティング』は万人受けする映画ではありませんし、それを狙って作られたわけでもありません。また、正確にはドラマというジャンルではなく、コメディとも呼べない映画なのです。

『トレインスポッティング』はダニー・ボイル監督による1996年のスコットランド映画で、ヨーロッパ映画会の金字塔的作品です。最近、続編『T2 トレインスポッティング』も公開されました。事実、その伝説的な登場人物たちや、彼らの一風変わった人生観、そして鬱屈した世界観は忘れがたいものです。『トレインスポッティング』は万人受けする映画ではありませんし、それを狙って作られたわけでもありません。また、正確にはドラマというジャンルではなく、コメディとも呼べない映画なのです。

『トレインスポッティング』は完全に異彩を放つ作品です。これはドラッグ、中でも特にヘロインの中毒となった社会の投影であると言えるでしょう。そしてその世界こそが、社会の片隅で生きる選択をした、ハイになることしか考えていない20世紀の真の哲学者たちが私たちを誘う世界なのです。

このように言うと少し不愉快に思われるかもしれませんが、映画を観れば非常に興味深い新たな世界観に引き込まれることでしょう。それまで映画の中でこれほど深く扱われることのなかった人生観を目の当たりにすることができるはずです。

20世紀の芸術作品

『トレインスポッティング』は攻撃的で直接的かつ、皮肉にあふれた映画です。キャラクターの人物描写は非常に優れており、多様なシーンが描かれています。エディンバラのストリート、スコットランド史上最悪のトイレ、伝説のシンガーであるルー・リードの曲『Perfect Day』がBGMとして流れる中でのオーバードーズ、痛ましい赤ちゃんのシーンなど、例を挙げればキリがありません。

本作品が、比喩は多用されているものの、非常にオープンに問題を扱う映画としていつまでも記憶に残る映画であることは間違いありません。また、類まれなサウンドトラックも映画に華を添えています。20世紀における、真の芸術作品と言えるでしょう。

“この時、スパッドとシック・ボーイと俺は健全で正当で民主的な決断として、できる限り早く再びヘロインに没頭することを決めた”

-レントン、『トレインスポッティング』-

『トレインスポッティング』の哲学

この映画では主に以下の4人のキャラクターにフォーカスを当ててストーリーが進みますが、それぞれが人生に対して非常に異なるモチベーションと観点を持っています。

  • レントン:主人公で、ヘロイン中毒の若者ですが、ある日ドラッグを断つ決断をします。
  • スパッド:レントンの友人で、この映画の中でおそらくもっとも「依存度の高い」キャラクターであり、他の登場人物よりドラッグの影響を多く受けてもいます。彼は典型的な愚か者の「麻薬中毒者」の特徴を持っているのです。しかし、同時にスパッドは全く嫌なヤツではなく、真の友達と呼べる唯一の存在です。
  • シック・ボーイ:彼もまたレントンの友人ですが、その忠誠心にはかなり疑問の余地があります。レントンがドラッグを断とうと決意すると、彼もレントンを苛立たせるためだけに同じようにドラッグをやめようとします。映画マニアで、倫理観を全く持ち合わせていません。
  • ベグビー:この友人グループの最年長者であり、一番厄介な人物でもあります。彼は麻薬中毒者ではありませんが、非常に暴力的なキャラクターです。警察から追われ、レントンらと暮らすようになります。皆から恐れられているベグビーは、リーダーのように振る舞い始めます。

私たちに提示されている人生のタイプは、ある種の奴隷生活です。それは、ただ請求書の支払いをこなしたり大型テレビを買ったり、恋人や友人を作ったり仕事を手に入れるために働き続けるだけの人生なのです。全てが何らかの選択に基づいているように思えますが、それらはすでに確立され、許容されている社会パターンに適応するためだけの、条件付きの選択肢に過ぎません。では、このような選択をしたくない人々にはどんな人生が待ち受けているのでしょうか?彼らはこの社会システムから完全に外れた世界を選んで生きていくことになります。

“これまで経験した最高のオーガズムを思い浮かべてみろ、それを1000倍にしてもヘロインの快感には及ばない”

-レントン、『トレインスポッティング』-

中毒が招く結果

レントンにとって、一つの人生を選択して社会モデルに従うことは決して簡単なことではありません。そんなことをしても退屈で空虚に思えます。これが彼が中毒になってしまった理由であり、そのような生活での心配事は、目当てのものを手に入れるための十分なお金を得られるか否かのみです。

『トレインスポッティング』では、様々な人生観が詳細に描かれます。それによって私たちは中毒者たちの視点に近づくことができるのです。そして映画の中ではレントン自身が彼の選択が非常にシンプルであることを語ります。彼が欲するのは快楽だけであり、他に何もありません。しかしもちろん、自身の中毒状態が最悪な結果しか招かないことを本人もわかっており、その世界に足を踏み入れている危険性は認識しています。全てを知った上で、それでもヘロインに溺れる世界を選んでいるのです。

このような生き方全体が現代的な快楽主義の一種であり、一般的に許容された社会とはかけ離れたところにある人生です。この人生では、幸せや生きる目的が「快楽」という一言に要約されてしまっています。そしてその絶対的な快楽を得るための方法が、ドラッグをキメることなのです。

トレインスポッティング 依存症 影響

普通とは違う人生観

このように純粋な快楽を追求する生き方をしていながらも、レントンは中毒者全員、もしくはほぼ全員が一度はドラッグから足を洗って現実世界に戻り、「普通の」人生を再び始める決意をするものだ、と説明します。映画の中には、このような決意を理解するのに欠かせないトイレでのシーンが出てきます。それが、ある意味でレントンの人生を反映しているのです。かなり不愉快な映像ではありますが、同時に非常に複雑な内容が描かれてもいるシーンでもあります。そのトイレが実は彼の人生そのものや、彼とヘロインとの関係性を表しているのです。

『トレインスポッティング』は私たちに普通とは違う人生観を紹介し、その選択が行われた背景を説明してくれます。登場人物たちにとって、現実世界とは奴隷生活や不幸の同義語です。そのため、彼らはこの現実から逃げ出し、全く新しい精神状態に自らをのめり込ませることを選びます。それはこの社会システムへのダイレクトな反応として生じた別種の生き方なのです。

“ラリっている時は天国だが、シラフになると途端にそのほかの馬鹿みたいな心配事が襲ってくる”

-レントン、『トレインスポッティング』-

『トレインスポッティング』と麻薬依存

『トレインスポッティング』は麻薬中毒者たちの現実を描き出し、私たちが一度も目の当たりにしたことのなかったような、しかし確かに存在している「地下の世界」の様子を見せてくれます。この映画はドラッグへの賛歌ではありません。むしろ、薬物を乱用する世代と彼らが受けた影響を映し出したポートレイトだと言えるでしょう。

ヘロインは20世紀後半に爆発的に流行した薬物で、多くの若者を中毒状態にさせ、命までをも奪いました。直接的な死因となっただけでなく、HIVなどの病気の拡散をも引き起こしたのです。こういった全ての事情が、登場人物たちの哲学的考察とともに『トレインスポッティング』には反映されています。

『トレインスポッティング』はレントンの旅路を描きます。中毒者としての旅路です。エクスタシーや最初の快楽から始まり、惨めさを味わい、深い絶望に飛び込んでいく様が映し出されるのです。物語の途中で、レントンはダイアンという十代の少女と出会い、彼女と付き合い始めます。彼女は、その若さにも関わらず、レントンにとってある種の良心となります。彼女こそ、彼の人生にほんの少しの現実味を加えてくれる人物だったのです。

そしてダイアンの影響でレントンはこの世界が変化しつつあること、彼の聴いている音楽がもはや時代遅れであること、そしてドラッグ以外にも様々な可能性が存在することを悟っていくことになります。

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変わり続けるドラッグの世界

人間社会は凄まじいスピードで進化を続けています。私たちの周りのもの全てが、常に変化しているのです。しかしレントンとその友人たちの生きる世界では、全てが停滞したままのように思われます。彼らは何事に対しても忘れっぽく、何が起こっていようと気にも留めないのです。しかしこういった変化はドラッグの世界でも同様に起こっています。

20世紀の終わりに主要だったドラッグはヘロインでしたが、現在はコカインなどのその他のドラッグの方が圧倒的に人気が高いのです。映画の中でもダイアンがすでにレントンにこのことを警告していましたし、続編である『T2 トレインスポッティング』でもこの事実が非常によく反映されています。

さらに、『トレインスポッティング』では依存症克服の困難さについても触れています。レントンは禁断症状に全力で立ち向かうために、入念に全ての準備をしました。バリウムなどの「抗禁断症状」薬品を集めて自身を隔離したのです。レントンがこれを成し遂げられたのは、「彼女なりの、社会的に許された範囲内」で薬物に依存している母親のおかげだったと彼は述べています。この母親に対する彼のコメントは、何らかの薬に頼って生活している人々を揶揄する彼独自の言い回しなのです。

『トレインスポッティング』は麻薬中毒者たちの持つ視点を非常に大胆に、そしてあらゆる要素を詰め込んで掘り下げています。初めての麻薬体験から完全な中毒状態、その克服、そして依存症の再発からロマンティックにすら見えるオーバードーズまでもが描かれているのです。かなり不愉快なトピックを使用しながらも、ほとんどの人にとっては全く馴染みがないような現実への理解を、少し深めさせてくれる映画が、ダニー・ボイル監督の手によって作り上げられたこの映画なのです。

“俺は、選ばない人生を選ぶ。普通とは全く別のものを選ぶのだ。理由?理由なんてない、ただヘロインがあるだけだ”

-レントン、『トレインスポッティング』-