赤ずきんちゃんのオオカミは悪者ではない?

2020年4月9日
一般的に、「良い子」「悪い子」というレッテルは、子どもの行動を基準にして貼っていきます。しかし、人の行動は本当にその人の全体像を表しているのでしょうか?童話赤ずきんちゃんに登場するオオカミをピックアップして詳しく見ていきましょう。

この数十年で、私たちの世界は急速にスピードアップしています。子どもたちに何を伝え、何をしてあげられるのかを考えることさえも難しくなってきています。「お兄ちゃん、妹を叩いちゃダメでしょ。悪い子。」こんなセリフを口にした、あるいは耳にしたことはありませんか?きっとあることでしょう。筆者自身もよく聞き、口にしたことがあります。しかし、この言葉の裏にはどのようなメッセージが隠れているのでしょうか。

もちろん、お兄ちゃんが妹を叩くのはよくありません。しかし、「悪い子」と言ってしまうのは言い過ぎかもしれません。私たちが気を付けなくてはならない最も大切なことの一つは、子どもの行動と子ども自身を切り離して考えるということです。行動とその人とを切り離して考え、レッテルを貼らないように気を付けなければなりません。

赤ずきんちゃん 悪者

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レッテルの危険性と赤ずきんちゃんのオオカミが悪くない理由

もしお父さんが子どもを叱っているのであれば、それは恐らくその子がしてはいけない悪いことをしてしまったからでしょう。

しかし、ここで重要な点があります。不適切であったのはその子の行動であり、その子どもという人間ではありません。もし常に子供の行動と人間とを混同して接していると、知らず知らずのうちに子どもの自尊心を下げてしまうことでしょう。「あれは軽率な行動だったよ」と「あなたは軽率な人だよ」は全くの別物です。

赤ずきんちゃんに出てくるオオカミは悪者だと子どもたちは口をそろえて言いますが、これは非常に興味深い点でもあります。オオカミが赤ずきんちゃんを食べようとしているだけで、私たちはオオカミにその性格(“悪い”性格)を与えているのです。

拙速に結論付けるのは簡単です。私たちは慎重に考えず、「赤ずきんちゃんを食べたい理由はオオカミが悪者だから」「そんなことをするのは悪者だけ」と決めつけているのです。

「赤ずきんちゃん」「3匹の子ブタ」「オオカミと7匹の子ヤギ」「ピーターと狼」など、オオカミが登場する多くの話を読み、聞いてきた私たちは、オオカミは主人公に危害を加えようとしているため悪者と頭から決めてかかるのです。実際はそうとも限らないにも関わらず、私たちはオオカミを“悪者”とし、他の可能性を考えもしないのです。

もちろん、オオカミは悪者ではありません。オオカミが赤ずきんちゃんを食べようとしたのはお腹が空いているからであり、悪者だからではありません。子どもにこの説明をしてあげれば、子どもたちはもっと現実的で、健全で、前向きな期待を世界に抱けるようになるかもしれません。何とも気の毒なオオカミです。このようなキャラクターの説明の仕方をぜひ変えてみてください。

行動を説明する力

ルイス・センティージョは哲学者・心理学者であり、筆者が非常に実用的だと感じる概念「リセマンティゼーション (resemantization)」を好んで使っていました。この造語の語源は、意味の言語学的研究である「意味論(セマンティックス: semantics)」から来ています。つまり、より柔軟な表現にするために言い換える(「再び(re)意味を与えること(semantization:造語)」)ということです。

例えば、「この子は奇妙で物事を避けたがる」と言うのではなく、「シャイ」とリセマンタイズ(言い換える)のです。一度レッテルを貼ってしまったら、それを取り除く大変さは想像ができるのではないでしょうか。これは心理学者のアルベルト・ソラーが言うように、「レッテル(ラベル)を貼るのは簡単だが、それを剥がすのはずっと難しい」のです。

より分かりやすく説明するために、ソラーは瓶のラベル(レッテル)の比喩をよく用います。一度子どもに神経質・悪い・賢い・偉い・落ち着きがないなどのレッテルを貼ってしまうと、たとえそれに反することが見られてもそのレッテルを剥がすのは簡単ではないのです。つまり、人、特に子供に与えるレッテルには注意が必要ということです。

私たちは、自分の行動を、外に与えるイメージや貼られたレッテルに合わせようとする傾向があります。また、貼られたレッテルを受け入れてしまう傾向もあるのです。ヘンリー・フォードは、このことに関して次のような名言を残しています。「できると思えばできる、できないと思えばできない。どちらも正しい」

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参考になるもう一つの話

与えられたレッテルや役割をすんなり受け入れることの危険性を説明するのに役立つ、筆者のお気に入りの話の一つに「ゴルトンの散歩」があります。フランシス・ゴルトンは、チャールズ・ダーウィンのいとこでした。ある朝、ゴルトンは自分が世界で最低の人間だと考えながら公園を歩き始めるのです。誰にも話すことなく、頭の中で自分がどれほど酷い人間であるかを考えていました。

ゴルトンは散歩中に公園で出会った人たちのことをどう感じたと思いますか?通りかかった人のほとんどは、彼から離れ、恐怖の目で彼のことを見ていたと感じたのです。実に驚く話ですね。それがレッテルの力なのです。

それでは、オオカミが悪者ではないという話に戻りましょう。つまるところ、この世に悪い子は存在しないと筆者は確信しています。しかし、それでも「悪い子」という言葉をよく耳にします。ですが、問題行動には必ず理由があるのです。

その問題行動を正当化しましょうと言っているのではありません。子どもがなぜそのような行動をとっているのかを理解することが重要なのです。つまり、子どもや生徒自身にレッテルを貼るのではなく、その行動を説明することが最も大切なことなのです。

子どもたちと話すときに使っているレッテルや説明について、そしてそれが子どもにもたらす影響について、今一度考えてみましょう。あなたのこの視点が、子どもたちの視点をより柔軟に、健全に、そしてオープンなものにする手助けになるかもしれません。