アメリカン・ビューティー:見た目に騙される時
サム・メンデスが監督した『アメリカン・ビューティー』は、当時の社会を風刺したアメリカの映画です。しかし今では、名作のひとつと数えられる作品となりました。それは、映画で描かれている社交的な描写が、どのような欧米社会にもしっかりと当てはめられるほどです。
タイトルの選択に注目してください。これを見れば、どのような映画かわかります。北アメリカ社会の理想です。この映画は、「完璧な家族」という押し付けられた型を描いています。しかし、初めの部分から、美しさというものはただの見た目に過ぎないということを明確にしています。それは儚く表面的で、危険をはらんでいます。カーニバルのような社会を映し出しており、ここでは登場人物が与えられた役柄を演じなくてはいけません。
理想の家庭の形
話は、一戸建てが立ち並ぶ閑静な住宅街で起こります。バーナム家に焦点を置いたお話です。
- 母親のキャロラインは、見た目がすべての世界で生きています。仕事の成功を追うことで精いっぱいです。
- 父親のレスターは、この映画の主人公です。無関心で、好きでもない生活の中で諦めており、幸せな瞬間は自慰行為を行う時のみです。
- 思春期の娘のジェーン。複雑な子であり、感情がまるでない家族の中で、10代の問題に向き合っていかなくてはいけません。
この登場人物たちは、セックスという形で解放されます。 セックスは、人間の自然な行為であり、社会の中では抑圧されている野生の部分です。
そこへ、新しい、別のバラバラな家族が引っ越してきます。フランク・フィッツ大佐は、防衛機能として強い拒絶を発達させてしまった軍人の父親です。自分に理想を課して、それが自分を失い否定することであっても、それに従おうとします。
大佐の妻は従順です。ほとんど話さずに、清掃のことばかり考えています。10代の息子であるリッキーは、父親とは正反対です。社会の基準を否定して、他の人が気づかないところに美しさを見ます。
巨大な仮装パーティーである社会
『アメリカン・ビューティー』は、人間の不安と矛盾する、完全に非人間的な物質主義の社会の影響を映し出しています。人が何らかの役割を果たし、型にはまろうと必死になっているような社会を批判している映画です。
エウヘニオ・トリアスが自身の著書である『フィロソフィー・アンド・カーニバル(哲学とカーニバル)』で説明しているように、社会は巨大な仮装パーティーです。人は一つではなく複数のアイデンティティーを持っています。
これらの仮面は、時の流れとともに変わってきます。息子、父親、祖父…すべてがライフスタイル、つまり見た目と巧妙さに基づく美意識を形作ります。これは、第2次世界大戦のあとから始まりました。アメリカの生活というものを、人が促進するようになってからです。
セックスのシーンになると、これらの仮面がぼやけてきます。登場人物が情熱に流されている時です。のちに、フィッツ大佐 、ジェーン、10代の少女のアンジェラ(ジェーンの友達)も、みな欲望に屈して、自分の本当の願いと不安を明かします。
「成功するには、成功のイメージを常に投影しなくてはいけない。」
-バディ・ケーン-
『アメリカン・ビューティー』におけるバラの比喩
美しさは、この映画の鍵です。バラは、美しさの比喩として機能しています。大昔から、バラは「完全」の象徴として見られてきました。しかし、バラは裏切りの花です。見た目は繊細で壊れやすい花びらを持つものの、堅い茎ととげを持ちます。「完璧なアメリカの家庭」も同じです。
映画の初め、キャロラインが庭でバラをカットしているシーンがあります。隣人はそれを見て、美しいと褒めます。バラを切って花瓶に入れることによって、人はバラを人工的なものに変えてしまいます。眺めるだけのものにしてしまうのです。しかし、時間がたつにつれて、バラは枯れ、花弁、つまり美しさを失います。バラはこの映画のいたるところで登場しますが、登場人物の人生に何が起こるかを示唆しています。
「普通でいることより最悪なことってないと思う。」
-アンジェラ・ヘイズ、『アメリカン・ビューティー』-
ジェーンの友達である登場人物のアンジェラは、バラに関連付けられています。アンジェラは、アメリカンビューティーの典型そのものです。ブロンド、美人、細見、チアリーダーの中心核…そして、ジェーンにかなりの影響を及ぼします。
男性から求められ憧れられることが好きで、モデルになるという夢を実現するためなら何でもします。しかし、彼女にも自信がないことは沢山あります。美が彼女の人生の基盤であり、彼女が投影するイメージは実際の自分とはほとんど関連がありません。
バラの花びらには、性的な含みがあります。それ故に、これがアンジェラのキャラクターに関連付けられていてもおかしくはありません。花弁はゆっくり落ちていきます。美しさというものがどれだけ儚いかを表わしているかのようです。
完璧主義の犠牲
これは、見ている人の反応を求める映画です。見る者の不快感と内省を期待しています。自分の日々の生活を批判的に見るように促す映画です。登場人物の考え、深い欲望、お互いと築く人間関係、人生の異なる段階での世界とのかかわり方を見ることができます。標準的な美しさは、リッキーの美しさの概念とは異なります。彼の概念は、確立された定義とは程遠いものです。
音楽の効果、音楽が作り出す雰囲気の機能、気分によって変わる登場人物の音楽の選択に注目しても面白いでしょう。特に、車内でのシーンです。ここでは仮面がなく、登場自分物は自分自身でいられます。一人でいることで自由になり、運転中に感じる力には、それぞれが選んだ音楽が付き添います。これは、仮面をとり外し、自分になる瞬間です。
『アメリカン・ビューティー』は、現代社会の厳しい影響、見た目を美しく保とうと恐怖に突き動かされる様、自分を自分らしく受け入れられない様を描き出しています。作られた型にはまり生き延びていくために、私たちは、否定し、隠れ、たくさんの仮面をかぶるのです。
「否定の力を決して侮るな。」
-リッキー・フィッツ–