アニメ『魔法が解けて』:中世の風刺に挑むマット・グレイニング

01 2月, 2020
マット・グレイニングによるシリーズ『魔法が解けて』は主に過去作によるプレッシャーの大きさのせいであまり良いスタートを切ることができませんでした。しかし新シーズンとともに、このシリーズは形を整えつつあり、グレイニングはその実力を見せつけています。

昨年、『魔法が解けて』がネットフリックスで公開されると、その評価は賛否両論を呼びました。このアニメシリーズは、『ザ・シンプソンズ』『フューチュラマ』の名高いクリエイターであるマット・グレイニングによって製作されています。グレイニングのファンたちは、それが正確にはどのような作品になるか知らないまま、彼の次の作品を熱心に待ち望んできました。

批評家たちはこのシリーズのあらゆる面を徹底的に吟味し、少々危なっかしい始まりを切った後、最終的にはこの少し狂気的な中世を舞台とした風刺劇を絶賛しました

方向性を変えたマット・グレイニング

『魔法が解けて』は前作からしばらく時間をおいて発表されました。『ザ・シンプソンズ』は誰の目にも明らかな現在を舞台としており、現代アメリカ社会をパロディ化しようとするもので、『フューチュラマ』は、視聴者に未来について考えさせるような内容でした。しかし、『魔法が解けて』は我々を過去への旅に連れ出してくれるアニメです。その過去とは、中世時代を彷彿とさせるような時代です。ただし、明らかな神話の影響や迷信に溢れた、ファンタジー要素満載の作品となっています。

ドリームランドという王国には、ティアビーニー姫(友人たちからはビーンと呼ばれる)が暮らしています。全ては、すでに結婚に同意していたこの若い姫が逃走し、結婚の義務から逃れたところから始まります。その理由は、彼女は愛してもいない王子と結婚するよりも、ビールと冒険のある生活の方を望んだからです。

ビーンは旅に出発し、その中で自分探しにチャレンジし、慣習から逃れようとします。その結果、彼女は無数の大惨事や狂気的な状況を生み出してしまうことになります。この旅は、彼女一人だけでの旅ではありません。旅路を共にするのはルーシーという悪魔で、ビーンをダークサイドに連れて行こうとしています。また、対照的に、エルフォという、自分の村の楽観主義的で楽しさに溢れた生活に疲れ果てた小さな妖精も一緒です。彼は人間の世界の闇や抑うつに真っ向から突っ込んでいくことになります。

ユーモアに関しては、マット・グレイニングは私たちには少々馴染みづらい世界観を作り上げたと言えるでしょう。とは言え、最後には良い後味を残してくれます。こちらで紹介するのは、『魔法が解けて』のシーズン2に関するいくつかのメインテーマについてです。

新たな構成

正直言って私も最初はマット・グレイニングがネットフリックスのために製作したこの新シリーズのテーマに混乱していました。『ザ・シンプソンズ』『フューチュラマ』がリリースされてから長い時間が経っており、視聴者もアニメ界のトレンドも劇的に変化してきました。私たち全員が、『ザ・シンプソンズ』『フューチュラマ』の黄金時代の懐かしい記憶を持っていますが、最近では事情がだいぶ異なるのです。

多くの人々が『フューチュラマ』を誤解して捉えた結果、放送局は放送をキャンセルしました。一方で『ザ・シンプソンズ』は、栄光の日々からはかなり遠ざかってしまっています。『ファミリー・ガイ』(セス・マクファーレン、1999年)といったシリーズがグレイニング作品の影で少しずつ成長していきましたが、結局は『ザ・シンプソンズ』のようなクラシック作品の中ではうまく機能しない方式を変えざるを得なくなりました。

では、なぜネットフリックスなのでしょうか?ネットフリックスでの配信ということは、新たな、作者たちとってより自由度の高い作品を制作できることを意味しますが、これは良いことでもあり悪いことでもあります。また、シリーズ化する傾向が明らかに高いということでもあります。そして、その点こそが、『魔法が解けて』の問題点の1つが潜むところなのです。

さらなるシリーズ

自己完結する短編ストーリーで構成されるというよりは、『魔法が解けて』は一般的なシリーズものに近い作りです。物語は、視聴者を繋ぎ止めるための先の見えない展開とともに徐々に進んでいきます。また、安っぽいユーモアも満載です。

問題は、『魔法が解けて』はシリアスな作品ではなくコメディであろうとしている点ですが、コメディでは”少ないほど豊か(レスイズモア )”なのです。より短く、より凝縮されている方が良いのです。視聴者が求めているのは笑いであり、画面に張り付かされることではありません。

そしてユーモアは少々馬鹿馬鹿しいものになる傾向がありますが、これは『ザ・シンプソンズ』『フューチュラマ』では問題にならなかった点です。理由としては、過去作では批評的視点と馬鹿馬鹿しさとのバランスが取れていたからです。しかしこの中世風刺劇の中では、ナンセンスさが批評精神を上回ってしまい、標準に達しておらず、人々の食いつきが良いとは言えません。

過去作との比較

比較は避けられませんが、有益なものではありませんし、おそらく過去作の影がなければ『魔法が解けて』もそれほど人々に受け入れられるのに苦戦しなかったでしょう。しかし『魔法が解けて』に免じて言えば、この新たな構成が視聴者を面くらわせたとは言え、結局は観た人々を良い意味で裏切ることに成功しています。

観続けていくことで、期待に沿うようなエピソードが何話かあり、より複雑でさらにワクワクするような全容がわかってきます。また、『ザ・シンプソンズ』も第一話目からすぐに我々の注目を集めたというわけではなかったことを思い出してみましょう。視聴者は徐々にこの作品を好きになっていったのです。

キャラクターたちも巧みに描かれており、他のシリーズ、特に『ゲーム・オブ・スローンズ』を彷彿とさせるシーンがあるなど、皆さんがお気づきになられる以上にたくさんの小ネタが潜んでいます。第一話から『魔法が解けて』を好きになることはないかもしれませんが、中盤に差し掛かってくるにつれておそらく目が離せなくなっていくことでしょう。セカンドシーズンまでこの方式は繰り返され、最後には全てが納得いく形になっているはずです。

『魔法が解けて』:新たなテーマとさらなる批判精神

グレイニングの過去作を特徴づけていたものと言えば、パロディに基づいた批判が描かれていたという点でしょう。風刺化された現在あるいは未来の世界がマット・グレイニングによるアニメの特徴であり、名作となった要因でもあります。『魔法が解けて』は過去だけでなく現代もパロディ化しています。これは、最近の世間のニーズに合わせる必要があるためです。

従って、主人公が一人の女性、つまり自分の生きている時代に飽き飽きし、破滅的な方法ながらも自ら人生を切り開いていこうとする姫君であることはそれほど驚くべきことではないでしょう。

不平等への批判精神

ビーンはおとぎ話に出てくるようなお姫様ではありません。彼女は中世の模範的な価値観を体現するような姫ではないのです。彼女は実は全くの悪夢のような人物です。全てがうまくいかず、どこにいっても混乱の原因となってしまいます。さらに、アルコールの問題を抱えており、美人とは決して言えません。

彼女は仲間のエルフォとルーシーを従えており、その3人組は『フューチュラマ』のフライ、ベンダー、そしてリーラを彷彿とさせます。彼らは、最終的にとんでもなく狂った状況に陥ってしまうような3人組です。

女性への不平等に対する批判は冒頭から明白で、ビーンは全てのルールに歯向い、自分の本能に従います。このセカンドシーズンでは、中世の本物のパロディや、現代に関するパロディも織り込まれています。

『魔法が解けて』 中世の風刺 マット・グレイニング

馬鹿にされる王様

このシリーズでは王様の人物像が笑い者にされており、彼が助言役の利益のための操り人形にされる様子が描かれます。中でも、協会を思わせるカルトのような存在も登場します。王も国民たちもあまり重要ではないように見えます。王様が王国内で起こっていることに何も気づかずに玉座で豪華な食事を楽しんでいる一方で、他の全員が宮殿内での自分の利益を探し求めています。

ドリームランドを支配するカルトの中には、迷信や宗教が混在しています。科学を信じず、しかし魔法を信じているようなキャラクターも数名登場していて、彼らは魔術を非難し、民衆の意見を思いのままに操っています。このように、ドリームランドを真に牛耳っているのは王の助言役たちなのです。彼らは性的および宗教的な性質の儀式のようなものに関わっており、その間、社会の規則を規定しています。

『魔法が解けて』は前菜のようなもので、ドリームランドやそれを統治するルールを紹介のようなものです。セカンドシーズンでは、さらに熟した内容を見せてくれます。ファーストシーズンで触れてきたもの全てを、さらに深く掘り下げています。セカンドシーズンは、私たちが暮らす現実世界や歴史上の過去とより深く関連する批判精神とともに、強烈なパンチや驚きとともに始まります。

このシーズンの終わり方は?

シリーズは、私たちを焦らし、ビーンとエルフォ、ルーシーの冒険についてもっと知りたい、と思わせるようなエンディングとともに我々に再び別れを告げました。それが、スチームパンクに極めて近いこの非常に細やかなデザインフォーマットを崩すことなく行われています。

人類の過去を戯画的にそして狂気的に描いたビジョンとともに、『魔法が解けて』は少しずつその地位を確立しつつあるようです。そして最終的には、過去作同様私たちの記憶に刻まれる重要な作品となるかもしれません。