ぶっ飛んだことをしよう

· 2018年11月9日

ぶっ飛んだことをするのは、頭がおかしいこととは全く関係のない、自由のサインです。多くの人が普通だと考える道とは異なる道を進む機会です。この自由で無秩序な状況で、そうでなかったら飛べなかった高さまで飛べます。どんな人も人生の中で狂ったことをしたことがあります。自由でアドレナリンを感じることは、必要であり自然なことです。

多くの人は、「頭がおかしい」というのは精神的なアンバランス、わい曲された現実の認識、自制心の喪失、幻覚、不条理でばかばかしいふるまいなどと関連付けます。

さて、「ぶっ飛んだことをする」というのはこれとは別の意味を持つフレーズです。人は人生の中にちょっとしたクレイジーさが必要です。そうでなければ、羽目を外して必ずしも論理的ではないことをするように自由になれません。

人は必然的にクレイジーであり、クレイジーでないこそことが狂気です。

 

天才と狂気の境界線

すべての天才がぶっ飛んでいるわけでもなく、すべてのぶっ飛んでいる人が天才というわけでもありません。天才は類まれな能力、特定の分野での卓越性、新しい考えを発見し表現する能力を持った人です。別の言葉で言えば、彼らは創造する人です。

病気というわけではありません。確かに、病気でありながら自分の能力を利用して素晴らしいことをする人もいます。しかし研究によれば、精神的な病を患う人の創造的な能力は、病気があわられる以前から存在していることが証明されています。

特別な能力を持っているから、天才的な傾向がみられるからといって、頭がおかしいと他人にレッテルを貼る人がいます。恐怖や無知から、理解できないものを過小評価することがあるのです。しかし、天才と狂気の境界線は、人間の目で見えるものより広いものです。

アインシュタイン

この分野に関しての研究はあまり行われていませんが、独創性というのは本当にあるとみてよさそうです。さらに、環境も大きな影響を及ぼします。例えば、モーツァルトやアインシュタインがジャングルで孤立していたら、 恐らく天才と呼ばれる存在ではなかったでしょう。今日私たちが彼らに持っているようなイメージもだいぶ違っていたことでしょう。研究によれば、75%の脳の構造は環境によるということがわかっています。

創造性は、感情的な対立と関連付けられます。不満が天才に創造することを可能にしているようです。これには神経学的な原則があります。天才は精神的な病気ではありません。しかし、2つが同時に存在するとき、天才はその狂気を利用して何か美しいものを作り出す方法を知っているのです。

天才は塔のようです。遠くからであれば、彼らがどれくらいの高さまで届くか見えます。しかし、天才のすぐそばに寄ってみると、高さが計り知れないことがわかり、尊敬の念を抱くのです。

普通と狂気

狂気とは理性や判断力の欠落です。問題は、19世紀の終わりまで狂気が既存の社会規範の拒絶と関連付けられていたことです。この理由から、現代の人は社会規範に従わない人を頭がおかしいとみなします。

多くの社会は、人間の様々な成長ステージに跨るふるまいのモデルを構築します。文化的な違いはありますが、多くの社会は、健康に生まれて、健康問題なく成長し、 大学へ行ったり、利益を生み出す分野に特化して、結婚して、新しい家で新しい家族を作ることを期待します。

ドン・キホーテ

これらの例は規範です。多くの人はこれらを「普通」として受け入れ、規範から外れるものを間違い、なんなら狂気だと思っています。しかし、狂気というものは、病気な社会においての唯一の健全な反応なのです。

「平凡が普通であり、その先を見ることは狂気であると考える人がいる。」

-チャーリー・ガルシア-