時には誰かに、かけがえのない人と言われたい 

時には誰かに、かけがえのない人と言われたい 
Valeria Sabater

によって書かれ、確認されています。 心理学者 Valeria Sabater.

最後の更新: 02 12月, 2021

私たちは時に誰かに、「好きだよ」とか「私にとって大切な人」とか「あなたのような人でいてくれてありがとう」などと言われたいものです。誰かにとってかけがえのない人間であると知りたいということは、弱さの表れではありません。合格だと感じたいわけではなく、ただ必要なのは、心の思いを声に出して言ってもらうこと、正直な言葉を通して、認められている、大切にされていると感じることなのです。

覚えておきたいのは、愛は無形でも訳せないものでもなく、煙でも香水でもないということです。なぜなら「愛する」という動詞は、私たちの五感に呼応するもので、五感で育てられ五感で励まされるものだからです。一つのつながりができたときに、その気持ちを当たり前のものとして考えてはいけません。「僕の気持ちは分かっているだろ」という言葉は、二人の関係に十分でもないし育てもしません。「一緒にいるのはそれだけの理由があるから」という言葉に至っては、本当に愛している人に安心よりも疑問をわかせる場合の方が多いでしょう。

「上手に選ばれた言葉は、100の言葉どころか100の考えに匹敵する」

-アンリ・ポアンカレ-

普通は、他人にとって自分はどんな意味があるのかを何度もくり返し聞く必要はありません。しかし自分の隣に、感情を表さず、つかみどころがなく、自分を必要としている気配を感じさせない人がいると、疲れきってしまいます。最悪の場合は、疑問や不安や埋められない空白を作り出してしまいます。

しばしば、言葉による愛情表現に飢えている人は、行動から人の気持ちを読み取ろうとします。愛する人は感情を言葉にしない、そこでその視線から愛情、行動から好み、日々のふるまいから誠実さを読み取る…これは、どう考えても大変なことですね。

朝のコーヒーと抱き合うカップル

自分は誰かにとって重要だと言われ、感じる必要性

一つ一つの感覚ごとに、一つ一つの鼓動の震えごとに、一つ一つの脳細胞のコネクションごとに、愛や親しみや感謝を感じることは、私たちにバランス・豊かさ・満ち足りた気持ちを与えてくれます。人間というのは、遺伝子的に仲間とつながるようにプログラムされているのです。なぜならこうして、種の存続が保障され、種として前進し進化し成長してきたからです。

「多くの場合、言わなければならなかった言葉は、手遅れになるまで気づかないものだ」

-アンドレ・ジッド-

ですから、パートナーや愛する人達の愛情ある言葉や、親しみを示す優しい言葉や、思いやりのある表現を望むからといって、誰も自分は弱いとか依存している人間だと感じる必要はありません。それは私たちの脳にとってとても大切なことで、時々「ありがとう」「あなたってすごい」「隣にいてくれてうれしい」と言われたいという思いは、自然なだけでなく合理的で必要なことでもあるのです。

また一方で、もう一つ重要なことも疎かにできません。誰かにとって大切だということを聞く必要があるのは大人だけではないのです。子供たちは、そういうしぐさを、食べ物や歩きはじめに支えてくれる腕と同じくらい必要としています。洋服や欲しいとねだる高いおもちゃよりもずっと必要なものなのです。

子供たちは、ポジティブな言葉や、愛情のしぐさや、彼らを認め、安心を与え、信頼と愛を注ぎ、羽を生やし根を張らせてくれる声を必要としているのです。

気持ちのつながりとその質は、将来の多くの行動を決定するでしょう。幼児期に冷たい家庭に育った、あるいは親が不安定であったり、ネグレクトされていた子供たちは皆、問題行動を起こす確率がより高く、適切な感情言語の使用に明らかな困難をきたします。

父親に抱かれる息子

恐れず、心から、話す

感情表現ができない人々が非常に増加していますが、それはアレキシサイミアと呼ばれる、コミュニケーションにおいて感情を認知することの障害を持つ人々だけではありません。より複雑でより深く、どのように教育されたかが関係することなのです。学校、職場などの多くの身近な環境で、「感情を提供する人々」よりも「感情を奪う人々」が増えていることを感じるでしょう。

「言語は、思考のドレスである」

-サムエル・ジョンソン-

教室やSNS上でいじめをする子供たちや、思いやりや敬意のある創造的な職場環境を作り出す能力のない管理職を見かけます。私たちのコミュニケーションの仕方にも感情表現のできない人が見られます。例えば、絵文字を使うだけで、特別な意味を持つ有効な言語を作り出しているという考えに至ります。

寄り添うカップル

しかし実際には違います。ナタリア・ラモス、パブロ・フェルナンデスによる『Corazones Inteligentes(賢い心)』という本の説明によると、私たちの世界には、心の知能のある種の実践的な応用が足りないということです。なぜなら感情は抽象的なものではなく、ぼんやりしたものでもなく、人生はデヴィッド・リンチの映画でもないのです。彼の作品では、ナレーションは魅惑的で象徴的であっても往々にして意味をなしません。人生には確固とした意味と愛、確かさが必要なのです。

言語を効果的に使い、創造し有意義にする道具にしましょう。勇気ある人になる、自分の心が人を大切にする、ポジティブな言葉や本当の気持ちを伝える言葉を通して人とつながる、そんな言語を使いましょう。


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