シリーズ『フロイト −若き天才と殺人鬼−』に含まれる事実と虚構

新作Netflixドラマ、『フロイト −若き天才と殺人鬼−』は精神分析の父の人生や偉業にはそれほどスポットライトを当てていません。それどころか、そのプロットはあまり現実に即してはいないのです。
シリーズ『フロイト −若き天才と殺人鬼−』に含まれる事実と虚構
Cristina Roda Rivera

によって書かれ、確認されています。 心理学者 Cristina Roda Rivera.

最後の更新: 21 12月, 2022

ジークムント・フロイトの人生に対する人々の関心はおさまる様子がありません。どんな場所を訪れても、誰か一人は必ずフロイトについて議論できるような相手が見つかるはずです。そこで、Netflix社はこのオーストリア人神経学社の人生や偉業を反映させたドラマ『フロイト −若き天才と殺人鬼−』の制作を決定しました。しかしながら、その内容はこの人物の謎を解き明かすような内容ではありません。むしろ、さらなる混乱を招くようなものだったのです。

実際には、このドラマシリーズは歴史を題材としたフィクションです。そのため、正確な事実や彼の伝記、そして学歴に即した部分はほとんど見られません。実はこのシリーズが描くのは、もしフロイトが犯罪の解決のために自身の精神分析の技術を用いていたらこうなっていただろう、という全く別の次元の世界なのです。

本作の監督マービン・クレンは、若い世代や現代的な世代に関心を持ってもらいたかったのだ、と述べています。これが、あまりにドキュメンタリーチックな内容にするのを避けたかった理由なのでしょう。

さらに言うと、『フロイト −若き天才と殺人鬼−』では、現代的な要素と刺激的な要素、そして歴史的な要素が混在しています。それでは、なぜ精神分析の父たる人物を犯罪やスピリチュアリズムと組み合わせたのでしょうか?彼の人物像に関してはすでに十分な議論や混乱が存在していたのではないでしょうか?

しかし私たちはそうは思いません。実は、彼をフィクション上のキャラクターに変えることへの関心は真新しいものではないのです。この記事では、フロイトを描いたこれ以前の映画や芸術についてお話ししていき、こちらの最新Netflixオリジナルドラマの真実についても明らかにしていきます。

フロイトに映画界が寄せる強い関心

現時点では、フロイトの業績は科学的な部門よりも人間性の面においてより詳しく研究されています。彼の人気は、実のところ彼の確立した理論等の科学的正確性に由来するわけではありません。ただ、フロイトは驚くほど優れた作家性を持っており、シェイクスピアやドストエフスキー、レオナルド・ダ・ヴィンチといった偉大な芸術家たちの作品に言及しながら精神分析を描写していたという事実があります。

彼の功績や理論的仮説などが一般大衆の興味をそそるに至ったのは、ある意味では芸術や映画のおかげだと言えるでしょう。事実、フロイト博物館(ロンドン)のステファン・マリアンスキは、「世間ではフロイトが重要人物とされていますが、それを理解するために、あるいはフロイト主義的な考え方を知るために彼の書籍を読む必要はありません」と述べています。

一方で、リーズ大学(イギリス)の教授ニコラス・レイは、フロイトの功績の一部はわかりやすく改変され、都合が良くて見ていて安心できるようなファンタジーへと変えられてしまっている、と断言しました。フロイトの名はこのようにして現代のポップカルチャーに馴染んでいったのです。

また、これはフロイトの功績に限った話ではありません。事実上、ウッディ・アレン監督の作品全体、あるいは『スター・ウォーズ エピソード5/帝国の逆襲』『バック・トゥ・ザ・フューチャー』に見られる父と子の関係性、そしてヴァージニア・ウルフやジェイムズ・ジョイスの小説などでも同じ現象が見られます。さらに、サルバドール・ダリやシュールレアリストたち、また、ドラマシリーズ『ザ・ソプラノズ 哀愁のマフィア』『そりゃないぜ!? フレイザー』、2011年のヴィゴ・モーテンセン主演映画『危険なメソッド』に関しても同様です。

フロイトを題材にした探偵ドラマを制作するこれまでの試み

2006年の小説『殺人者は夢を見るか』(ジェド・ルーベンフェルド著)は、フロイトが殺人事件の捜査に協力するというストーリーを描いています。1909年にフロイトが最初で最後のニューヨーク訪問を行なった際、ある事件に巻き込まれることになる、という設定です。

その後2014年に、テレビドラマ『Xファイル』の監督であるフランク・スポトニッツがドラマ『Freud: The Secret Casebook(フロイト:秘密の事件集、の意)』の脚本を執筆する準備を整えました。しかし、この作品は未だ脚本止まりで、実現されてはいません。

『フロイト −若き天才と殺人鬼−』で描かれる真実と虚構

フロイトは、フライベルク(現在はチェコのプシーボルという都市)で生まれました。のちに彼の家族はライプツィヒに移り、その後ウィーンに永住することになります。

このドラマから抜き出すことのできる事実はごくわずかしかありません。その中のいくつかを見ていきましょう。

医学研究を行なった時期

フロイトはウィーン大学で医学を学び、市立病院で働きました。1881年に博士号を取って大学を卒業した後、1885年にハビリテーション(研究と教育を行うための資格)を取得すると、同大学で神経病理学の教授としてのキャリアをスタートさせます。

ここでドラマの方を見てみると、その舞台は1886年という設定なので、彼の興味深い理論や初期の実際の症例のレビューなどとは整合性が取れているようです。

コカイン中毒

フロイトが初めてコカインに手を出したのは、まだ非常に若い頃でした。彼がコカインを「奇跡的なドラッグ」と呼んでいたのは事実です。1884年、彼は「コカについて」と題された論説を執筆し、この物質への愛を表明しました。彼はコカインが身体や精神にもたらす効果に魅了されていたのです。自らが中毒状態になっていることに気づいたのは後になってからでした。

このNetflixドラマでは、彼のコカイン中毒が上手く表現されています。

フロイト −若き天才と殺人鬼−

ブロイアーとの初期の精神分析臨床

1886年、フロイトはウィーンで個人的に開業し、催眠術を用いた臨床を開始しました。ここで、当時は催眠療法がまだそれほど広まっていなかった点に触れておきましょう。

興味深いことに、『フロイト −若き天才と殺人鬼−』では彼の人生の中でも特にこの部分が描き出されています。実はここでは、彼の友人であり共に『ヒステリー研究』を完成させた精神科医のヨーゼフ・ブロイアーによるアプローチが採用されているのです。

このころのフロイトは、ブロイアー がアンナ・Oというヒステリー患者を治療した経験にかなりの影響を受けていました。その後、治療結果に一貫性が得られないことからフロイトは次第に催眠療法を放棄し、「自由連想法」と呼ばれる手法を確立していきます。ただ、ドラマ内では彼とブロイアーとの関係性が完全に明らかにされている訳ではありません。

『フロイト −若き天才と殺人鬼−』で描かれるフルール・サロメとのロマンス

このドラマではもう一つ、事実に基づいていると見られる部分があります。それが、フルール・サロメという女性の存在です。ドラマ内では、この霊媒師がフロイトとともに事件の解決に挑むというプロットになっています。このキャラクターの元になっているのは、実在の精神分析医ルー・アンドレアス・ザロメです。

フロイトとルー・アンドレアス・ザロメは互いに恋愛感情を抱いていたのだろう、という噂は常に存在していました。しかしながら、これを証明できる人は一人も現れていません。とりあえず、正確性というポイントに関して申し上げると、ドラマの舞台が1880年代なのに対して、歴史学者によれば二人が実際に出会ったのは1911年だとされています。

殺人の捜査

実際のジークムント・フロイトは一度も犯罪捜査に関わったことはなく、いかなる種類の犯罪の解決も手助けしたことがありません。また、このドラマでは彼がスピリチュアリズムの怪しいセッションに入り込む様子が描かれますが、そのような記録も存在しないようです。

ただ、彼はシャーロック・ホームズものなどの探偵小説を読むのが大好きでした。したがって、現実生活では犯罪を解決したことはありませんが、そういった類の仕事に惹かれていたことは事実なのでしょう。

ご覧の通り、『フロイト −若き天才と殺人鬼−』の全8話から彼の理論について学べることはほとんどありません。おそらく、彼の思想のいくつかが作り手たちの想像力を刺激し、こういったフィクションが作られる源泉となっているのでしょう。


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