人を当惑させるディオゲネスの言葉5選
ディオゲネスの言葉は、どんな時代にも通じる最も真実に近い哲学を教えてくれます。世界を理解したい、真実を知りたいという強い意志を持つ者は、真実をこよなく愛しているという哲学です。
ディオゲネスの言葉の多くは保存されていません。ディオゲネスはそれを書き出すことをしなかったからです。今日でも残っているものは、彼の信者から伝わった言葉です。 特に、ディオゲネスの言葉を収集することを任された同名のディオゲネス・ラエルティオスによって残されています。
「知識は若者にとってブレーキの役目を果たし、年寄りには慰めとなり、貧しいものには富となり、裕福なものには装飾となる。」
-ディオゲネス-
シノペで生まれたディオゲネスは、アテネで有名になりました。彼を有名にしたのは、俗世から距離を置いたことです。自由を愛し、力を持つ人に対して真実を述べることを恐れませんでした。大だるのなかに住み、多くの人はディオゲネスを物乞いだと思っていたそうです。そんなディオゲネスの素晴らしい言葉を見てみましょう。
1.侮辱
「侮辱は、受け取る人ではなくそれを発信した人を辱める。」問題を抱えているのは、その侮辱の対象者ではなく侮辱した人であるということです。
ディオゲネス自身は、真実を伝えるのにとても厳しい言葉を使ったことで知られています。しかし、ディオゲネスの主張は二重規範と倫理の欠落をついていました。相手を攻撃するのではなく、その人の倫理を問うていたのです。
2.おべっかを使う人
ディオゲネスの信者のひとりであるヘカトンが書き残している言葉があります。「おべっか使いよりカラスの手に落ちるほうがましだ。カラスの場合は死んだ体をむさぼられるが、もう一方の場合は生きたままむさぼられる。」
ディオゲネスはおべっかを使うような人を嫌いました。アレクサンドロス大王がディオゲネスの名声にひかれ、彼を探し出したのは有名な話です。アレクサンドロス大王はディオゲネスに自己紹介し、何か必要なものはないかと尋ねました。信じられないことに、ディオゲネスは日を遮っているからあっちへ行くようにとだけ大王に伝えたのです。
3.完全な超然
ディオゲネスは、あるとき手で水を集めて飲んでいる子どもを立ち止まって観察したそうです。ディオゲネスにはあまり持ち物がありませんでしたが、カップは持っていました。子どもを見て、ディオゲネスは次のように言います。「質素という点でこの子どもはわたしを超えた。」そしてカップを捨ててしまいます。
別の時には、子どもが葉っぱを食器にして食事をしているのを見かけます。パンをスプーン代わりにしてレンズマメを食べていました。この子どもを真似、ディオゲネスは自分の食器をすてて、その瞬間から子どもと同じように食べるようになったそうです。
4.沈黙と話すこと
これは作者がはっきりとは確認できていないものの、ディオゲネスのものだと言われている言葉です。「沈黙することは、聞くことを身につけていることである。聞くことは、話し方を身につけることである。話すことは、沈黙することである。」
もしディオゲネスの言葉でなかったとしても、彼の思想と矛盾しない考え方です。コミュニケーションとは複雑なプロセスであり、聞くことがとても重要であるという意味です。まず、話し方を学びます。話し方を知っているということは、黙っていながら理解することができるということを示唆します。
5.施しとその影響
歴史によれば、アテナイの民衆はディオゲネスの貧困具合に驚き、彼らはディオゲネスに次のように尋ねたと言います。「人はなぜ思想家ではなく物乞いに施しをするのか?」
ディオゲネスはちょっと考えてから答えました。「人は、もしかしたらいつか歩行困難になったり、目が見えなくなったりするかもしれないと考える。しかし、いつか哲学に目を向けるとは考えない。」 施しとは、身勝手さから行われた助けであるという巧妙な言い方です。徳はありません。思いやりでもありません。あるのは恐怖だけです。
ディオゲネスの時代には、哲学者たちはとても尊敬されていました。貴族の被保護者として生き、贅沢や特権をうけることもできました。しかし、ディオゲネスは真実を追求することを選んだんです。だから、今日まで覚えられている人物となったのではないでしょうか。