生きがい:人生を輝かせるものとは
まずはやる。今を生きる。小さなことに大きな意味を見出す。時には現実逃避も大切。諦めかけた目標を再び目指す。明日は来ないと思って夢を抱く・・・このような教訓は人生に意味を与え、毎日を生き生きとしたものにします。
単に生きることと、生きがいを感じながら生きることは違います。生きがいを感じるのは簡単なことではありません。生きがいを感じることができると、体のすべての神経が目覚めます。体の感覚はすべて「今、ここ」に集中し、すべてに意味が生まれ、調和がとれるのです。受動的で自己批判的な態度が求められる世の中では、生きがいを感じながら生きることは簡単ではありません。
私たちは、常に何かが足りないと感じながら生きています。この状態は足りない「何か」を物質的なもので埋めようとするため、人を貪欲な消費者に変えます。常に欲しい物があり、新しい商品を求め、転職願望があり、より愛情を感じられる関係を求め、異国への旅を夢見るのです。私たちは物理的なものが空虚感を埋めてくれると信じ込んでいるからです。
これは、丸い穴に四角い杭を無理やり押し込もうとしているようなものです。ここで重要なのは環境です。周りの環境に馴染もうとするあまり、私たちは幸せが特定の場所からくることを忘れてしまうのです。その場所とは、そう、私たち自身です。私たちは情熱という人生に生きがいをもたらすものを忘れがちなのです。
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生きるとは関わること
幸せを曇らせる最大のリスクの一つに消極的に生きることが挙げられます。周りの人や状況に流され、「感じる」ことをやめ、単に「存在する」ことに落ち着いてしまうのです。日々の義務にがんじがらめにされ、生きることさえ義務の一つと感じるようになってしまいます。希望は姿を消し、生きていることに意味を見出せなくなるのです。
一つはっきりさせておきましょう。生きるとは関わることです。 リスクに立ち向かい、恐怖を感じても行動し続けることです。毎朝起きる理由を一つではなく、何十も見つけることです。しかし、自己満足という逃げ道に落ち着いてしまうこともあります。
違和感を感じていたり、幸せと感じていなくてもその現状に満足してしまうのです。これは「明日の百より今日の五十」で、リスクを伴う未来に期待するより、わずかでも現実に得られるものを優先しようとするからです。しかし、実際は「今日の五十」も得られていないことが多いのが現実です。約束されたと思っていた明日はただの夢で、蜃気楼のように消えさるのです。そして残されるのは偽りの安心感のみです。
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他人によって敷かれたレールの上を歩む人生に生きがいは見つけられません。また、自分の安心領域にとどまっているだけでも見つけられません。すべてのことに意味をもたらす活力と幸せを感じるのに必要なのは情熱です。「たられば」で物事を考えるのはやめましょう。(もしやっていたら、もしこうだったら、彼がこうしていたら・・・)今、ここを生きるのです。目の前にある現実を自分の足で歩みながら探検し、夢の建築家になりましょう。
生きがいをもたらすもの
失敗を恐れない。七転び八起きで成功を手に入れる。新しいアイディアが生まれるように、日中に散歩をする。運動をする。上手くいった仕事の達成感を味わう。一番必要としているときに差し伸べられる手。一人の時間。仲間との時間。伴侶と何かを作り上げる。趣味や楽しみ。子どもの笑い声。一つの段階を越えたら更なる情熱と恐怖心、そして強さを持って次の段階に進む…
生きがいを感じさせてくれるものとは、魂を奮い立たせるものです。生きることの基盤となり、課題に意味を与え、行動の理由となり成長のエネルギーになるのです。根本的にこのようなことは人生に必要です。そうでないと心理的基礎構造が崩れ始めてしまいます。そうすると、空虚感をもたらし人生の意味が分からなくなるという危険があります。
空虚感とは生きがいの反対です。そのため、空虚感が生まれ始めたらすぐに対処することが大切です。これには頭の中を端から端まで意味のある事で埋めることが必要です。言語療法の父であり、複数の強制収容所の生存者であるヴィクトール・フランクルは彼の本の中で、私たち人間の使命とは目的を見つけることだと教えてくれました。私たちは責任を持って完全になり、満たされ、自由になるべきなのです。
生きがいを作り出すものとは、かけがえのないものです。それは、熱意。私たちは一人一人、自分の目的を見つけ、それを成し遂げる勇気を持つ必要があります。そして、それを毎日の情熱に変えるのです。ヘレン・ケラーがかつて言ったように、空を飛びたいのであれば、他人が地面を這っているからと同じようにあなたまで這う必要はないのです。