意思表示のために怒鳴り声を上げる人々

08 10月, 2020
他人を怒鳴りつけておきながら、相手には自分に怒鳴らないように頼むという行為には大いなる矛盾があります。大声を上げることは非常に不快なものになり得ますが、なぜ世の中には意思表示のためにこの行為に頼る人々がいるのでしょうか?そのことについて追究していきましょう。

怒鳴られるのが好きな人など存在しません。この理由から、私たちには適切な扱いを受ける権利があります。しかし他人にそれを求めるのであれば、こちらも相手を適切に扱わねばならず、それはつまり相手を怒鳴りつけてはいけないということを意味します。これが守れないならば他人に同じことを要求するなど無意味です。日常生活において、口論の最中に怒鳴ることで意思を表明しようとする人に遭遇する機会は珍しくはありません。こうすることによって、その会話のボリュームを高め、主導権を握っている感覚を得ようとしているのです。

これまでの人生において皆さんもおそらく、自制心を持てていない人と出会ったことがあるはずです。怒りっぽい性質の相手に対処するのが困難であることに疑いの余地はありません。特にそれが上司や同僚、あるいはパートナーだった場合にはなおさらです。このようなケースでは、相手のかんしゃくに怯まないようにすることが最も過酷な試練となります。

怒声は気分を害する力が強く、相手を支配しようとするものでもあるため、対応するのが非常に困難です。もし意志を伝えるために怒鳴り声を上げるような人と頻繁に向き合わねばならないのであれば、このタイプの攻撃性にどう反応すべきかを学んでおかねばなりません。また、相手に対して自分も怒鳴るという同じ方法を取ってしまった場合、それまであなたが有していた「敬意を持って接してもらいたい」と要求するための権利が失われてしまうことも覚えておきましょう。

意思表示のために怒鳴ること

ここでまず、怒鳴ることの目的は相手を怯えさせ、怒りを見せつけることのみであるという事実をはっきりさせておきましょう。怒りがこの行為の主な原動力となっているのです。意思表示のために相手を怒鳴りつけるような人々は、その状況や相手に対して自分が支配力を有していることを実感したがっているだけです。このような形で怒りを表現しても自身の自制力の低さが露呈するだけであることに気づいてくれれば良いのですが…。

意思表示 怒鳴り声

怒鳴る行為を正当化しようと様々な決まり文句を口にします。「私が怒鳴っているのは、もしそうしなければ話を聞いてもらえないと思うからだ」、この言い訳は非常によく使われます。「私の言っていることを理解してもらうための唯一の方法がこれなのだ」というようなことを言う人もいるでしょう。このような、相手を怒鳴りつけると言う不合理な行為に理由を与えるためのステレオタイプ的な主張は他にもたくさん存在します。

もしある人が普通の声量で話すのではなく大声を上げようとするのであれば、その人物の感情がいかに不安定であるかを容易に想像することができます。自分を強く見せたいがために怒鳴るのです。前述の通り、その場の主導権を握りたいと考えています。しかし、そもそも自分自身をコントロールできていない人が外的状況をコントロールすることなど不可能だということを理解してもらわねばなりません。

なぜ人は怒鳴ろうとするのか?

人は、恐れを抱いた時や何かを心配している時にも怒鳴ることがあります。この場合、その行為の目的は自分自身を守ることです。その人が感じる脅威が本物でも想像上のものに過ぎなくても、それは関係ありません。しかし特に多いのは、それが自分の頭の中だけに存在しており、不安定な心の産物として表出しているだけのケースです。例えば、他人から承認されることばかり気にする人々や、あるいは批判に対して繊細過ぎるような人々からは、どんなやり取りであっても反抗すべき攻撃として解釈されてしまう可能性があります。

人が怒鳴ってしまうもう一つの理由は、それが癖になっているためです。ここで、人間は皆、それぞれが受けた教育の産物だということを思い出しましょう。つまり、怒鳴り声を上げる家族から教育を受けた子どもたちが、大人になってから他人にも怒鳴るようになる可能性は非常に高いのです。怒鳴るのは普通のことだと考えています。そのため、失望や不満を感じた時、おそらく苦痛を表すために大声を上げてしまうでしょう。

一方で、興奮しやすい気質を上手く扱えていなかったり、自分の手に負えないような状況に頻繁に陥ってしまうことで攻撃的な傾向が強まっていく場合もあります。そのようなケースに当てはまる人は意思表示のために怒鳴るだけでなく、日常的に敵意をむき出しにしたり怒りを爆発させることが多いのです。

意思表示のために怒鳴り声を上げる人々

私に向かって怒鳴らないでくれ、という要求

大声を上げるような人は、よく相手からも全く同じ行為で反撃されます。そのことを考えれば、怒鳴りつけるという行為がいかに有害なものになり得るかお分りいただけるでしょう。怒鳴り声は無意味なだけでなく、コミュニケーションや人間関係にも大きな弊害をもたらします。私に向かって怒鳴らないでくれ、と頼む権利は誰しもが獲得し守ることができるものです。しかしそのためには自分も同じく相手に怒鳴らないようにする必要があります。

人間関係においては、「上位にいる」方の人物には大声を上げる権利があり、もう一方はただ黙っていなければならないというパターンが散見されます。例えば親と子、教師と生徒、雇い主と従業員、さらには力関係が不均衡なカップル間にもこのパターンが垣間見られるでしょう。

これらのケースにはシビアな上下関係が潜んでいます。母親は我が子を怒鳴りつけますが、その子が自分に対して同じことをしたらそれは敬意が欠けている行為だ、と考えます。両者間には、全員が尊重せねばならないヒエラルキーのようなものが存在しているのです。確かにそれが必要な場合もありますが、その権威には一貫性がなければならないということを親たちは忘れがちです。結局のところは親が子どもたちのロールモデルなのですから。

基本的に、親や教師、上司、あるいは配偶者などは意思表示に怒鳴り声を使っても罰せられることがありません。その結果、相手の人物に恐怖を与えてしまう(そして侮辱する)ことになります。しかし、約束したことを守ろうとしない、自分の感情すらコントロールできないような人物に敬意を抱いてくれる人などいるのでしょうか?人を怒鳴りつけることは無意味ですし、誰もが時には声を荒げたくなる誘惑にかられることがあるとはいえ、それでもやはり悪い行いなのです。

Shelton, N., & Burton, S. (2004). Asertividad. Haga oír su voz sin gritar. FC Editorial.