人権の擁護者エレノア・ルーズベルト

2019年10月18日
エレノア・ルーズベルトは恥ずかしがり屋で自信がない子供でしたが、後に最も注目されたファーストレディとなりました。彼女は作家であり、改革者でもありました。

今回は、エレノア・ルーズベルトについてお話ししたいと思います。彼女は、前世紀に起きた重要な出来事の中で、非常に重要な役割を果たした人物でした。外交官としてだけでなく、人権弁護士としても活躍しました。エレノアは間違いなく20世紀で最も影響力のある人物の一人だったと言えるでしょう。

彼女はセオドア・ルーズベルト・ジュニア大統領の姪でした。後に遠いいとこであるフランクリン・デラノ・ルーズベルトと結婚しました。彼が米国大統領になったとき、彼女はファーストレディになりました。この地位を利用して、女性の解放運動と普遍的な人権の制度的支援を実施したのです。

彼女の前にファーストレディを務めていた女性たちは、儀式的な義務を持つ大統領をもてなす役割しかありませんでしたが、エレノアルーズベルトはその立場に実質性を与えました。政府のためだけでなく、米国市民のためにも様々な働きを行いました。国連で米国の代表として働いた後も、その生涯に渡って多くのことを成し遂げました。夫が大統領だったときに、大統領夫人である彼女もまた多くの功績を残したのです。

幼少期

エレノア・ルーズベルト

エレノアは、裕福で政治的に著名な一家のもとにニューヨーク市で生まれました。 10歳になる前に両親を亡くしたため、幸せな子供時代を送れなかったとも言われています。彼女はロンドンの私立寄宿学校で学びました。そこで人生で最も影響力のある人物であり、彼女に自信を与え強くカリスマ的な女性になるのを助けた教師と出会うことになります。

米国に戻ったエレノアは、遠いいとこにあたる有望なフランクリン・デラノ・ルーズベルトと付き合うようになりました。彼らはその後1905年に結婚し、フランクリンが上院議員に指名された後、アルバニーに引っ越しました。6人の子供をもうけましたが、そのうち1人は幼い頃になくなってしまいました。

家族の世話で忙しいにもかかわらず、エレノアは政治問題にも積極的に関わりました。彼女はさまざまな組織のメンバーでした。女性投票者連盟、女性労働組合連盟、そして民主党全国委員会女性部のリーダーでした。さらに、家具工場を経営して、中学校で文学との歴史を教えました。第一次世界大戦が始まるとボランティア活動として負傷兵を慰問したり赤十字の運営する食堂で働くこともありました。

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ファーストレディ誕生

1933年にフランクリンが初めてアメリカ合衆国大統領に選出されたときに、彼女はファーストレディになりました。フランクリンは12年間大統領を務め、エレノア・ルーズベルトはファーストレディの役割を大きく変えました。公職はもちろんのこと、女性が公的生活にほとんど関連性を持っていなかった時代に、強い意志を持ち世界中の人々にインスピレーションを与えたのです。女性ジャーナリストのために300以上の講義を行い、あらゆる種類の政治イベントに参加しました。また、女性の権利を支持していた人々、特にアフリカ系アメリカ人の女性のために立ち上がりました。

「平和について話すだけでは十分ではありません。信じなければなりません。そして、それを信じるだけでは十分ではありません。それに取り組む必要があります。」

-エレノア・ルーズベルト-

エレノアは、最も恵まれない人々の権利のために戦いました。彼女は新聞に記事を書くことで彼らの存在を社会にアピールしました。新聞や雑誌などに約3000の記事を書いたのです。 また、Woman’s Home Companionに毎月コラムを掲載しました。そして、そのストーリーを共有するように勧めました。さらに、4冊の本を出版しました。

第二次世界大戦中、彼女は市民防衛問題に取り組んでいました。数千人の日本人移民を拘留するという夫の決定に公然と反対したのです。

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エレノア・ルーズベルトが残した功績

エレノア・ルーズベルト

夫は、大統領として第4期を務めている時に亡くなりました。それでも、彼女の活動はそこで終わりませんでした。エレノアは国連の代表としてトルーマン大統領のもとで働きました。1948年にはマグナム・オーパスと呼ばれた世界人権宣言の起草を推進しました。これは、多くの国の憲法に影響を与え、男性と女性の権利の保護を支援しました。

トルーマン大統領はかつて「世界のファーストレディ」と呼ばれた彼女の功績に敬意を表しました。さらに、ジョン・F・ケネディはエレノアをアメリカ人女性の手本であると述べています。彼女は後のすべてのファーストレディのインスピレーションとなる功績を残しました。女性に政治の分野を開いたのはエレノアだったのです。1962年4月23日、ニューヨーク市でエレノアはその生涯を閉じました。78歳でした。

「偉大な人は考えについて議論し、平凡な人は出来事について議論し、狭量な人は他人について議論する」

-エレノア・ルーズベルト-

エレノアは今もなお世界中の多くの女性にインスピレーションを与え続けています。 現在、女性と少数民族の権利と闘っている人は誰でも、彼女の功績を理解しているでしょう。

人間の尊厳

彼女が亡くなったとき、多くの人が彼女を偲び、生前の功績を讃えました。国連の米国代表であるアドレイ・スティーブンソンは、次のように述べています。「私は大切な人を失いました。彼女と共にインスピレーションを失いました。 彼女は暗闇を呪うよりも、ろうそくを灯しました。そして、その輝きは世界を暖めたのです。」

アドレイの言葉はエレノアの人格とその心の強さを強調しています。 エレノアは世界中の多くの人の心に火を灯したのです。

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