恐怖を一番よく知る勇敢な人

恐怖を一番よく知る勇敢な人

最後の更新: 06 2月, 2019

スペインは、最も重要な街のひとつであるバルセロナでのテロからまだ回復途中です。バルセロナにいた人であれば、イデオロギーに関係なく誰でも、自分に起こったかのようにその喪失と痛みを感じています。同時に恐怖も感じています。

人々が様々なメッセージを発信していく中で、一つが他より目立っていました。とても独創的というわけではありませんが、何度も繰り返されていたために、興味をひくものでした。「私たちは怯えていない」というメッセージです。さてここでの疑問は、これは事実かということです。これは本当にバルセロナの人の顔には見られない感情なのでしょうか?

女性

私は怖いです

この標語は、無垢に、私たちが感情に関してすべてを知っているわけではないことを示しています。 心の知能が流行っていて、そこかしこでもてはやされて、記事の主題になったりしています。しかし、毎日自分が感じていることを表わす普段の会話の中で利用されるようになるには、まだまだ先は長そうです。

恐怖に関して話しましょう。私は恐怖を感じています。私の祖母も、事件のあった場所に行くことを考えただけでも恐怖を感じると言っています。慎重さ、用心、恐怖。また起こるのではないかという恐怖、見たことがないもの、避けられないもの、わからないものへの恐怖。イメージ、サイレン、バラの咲き乱れる公園だった場所から罠にはまったように出口を探す恐怖の感覚。

恐怖を認識しようとしないのは、弱さを見せることで動揺してしまうから、そして子どもの時から恐怖を見せるのは弱さの証だと教えられてきたからだという事実について話しましょう。心の中に恐怖や弱さを感じると、人は動揺します。だから恐怖の横を抜き足差し足するだけで、否定してしまうのです。しかし、恐怖を否定することは正しいことでしょうか?

やじるし


恐怖を否定するとどうなるか

感情を否定するとどんな影響があるでしょうか。まず、この感情のエネルギーは、怒りや非理性的になることなどの私たちが認めている他の感情からやってきます。

感情の中により大きなエネルギーを持つことで起きるのは、それらの制御を失ってしまうことです。それが原因で、自分が間違っていると思う相に対して意味のない怒りを生み出したりします。

近年われわれが以前にも増して反応するものに宗教があります。これは、宗教からテロが連想されるからです。

同じ宗教に従うすべての人を責めるように私たちを仕向けるのは何でしょう?これは残忍性を好む人達を力づけるだけです。つまり、自分や自分たちが「憎む」人たちの命を犠牲にしてでも、自分のような人のために楽園を作りたいという人を増やしてしまいます。

恐怖を無視する時には、勇気も隠してしまいます。それは、少なくとも周りに認められることで報酬を受けるべき勇気です。恐怖によって、強さとテロや間違ったことに反対するために外へ繰り出す人たちの重要さに気づきます。さらに、これらの行為に参加しない人のことも理解することができます。

恐怖を認めることで自分を理解する

恐怖を認めれば、自分を理解して、不安を説明する助けになります。恐怖を否定してしまえば、私たちはこの機会を無駄にして、自分の感情から断絶してしまうリスクを起こしています。

テロが起こるかもしれないという心配は適応的です。恐怖は私たちに語り掛けています。「気を付けて!」と。何かが起こるから、それに備えよう。さらに、恐怖を認識することで、それを感じる人に共感して仲間になれます。起こったことと感情が一貫していると、それが弱い証であるかのように感じることを阻止します。だから、自分の感情を否定するような人にはついていかないほうが良いかもしれません。

私は祖母に彼女の恐怖が理解できると伝えました。そして、わたしも怖いと。それから気を付けるから心配する必要はないと伝えました。私たちが感じていることと私の姿勢が一致していたので、祖母は安心したようです。恐怖というのは、私たちに勇敢でいる機会を与えてくれる感情です。


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