『何がジェーンに起こったか?』憎しみがアートに変わる時

2019年5月10日

 

ベティ・デイヴィスとジョーン・クロフォード:才能溢れる著名な女優二人ですが、長年の宿敵同士でした。しかし、内心ではそんなに違わないというのに、なぜ彼女たちはそんなにもお互いを嫌い合っていたのでしょうか?二人はどちらも娘たちとの関係が悪く、恋愛もうまくいかず、どちらも酒浸りになってしまいました。今までのハリウッドでの確執話に関しては、この二人の話が一番よくされてきたことは間違いありません。大騒動がありながらも、二人は『何がジェーンに起こったか?』という名作映画を世に残してくれました。

若者たちが白黒映画を観たがらないというのは事実です。まるでアレルギーがあるかのようにさえ見えます。完全に白と黒しか存在しない映画を観るというのは、かなり骨の折れることのように思えてしまうのでしょう。しかしこういった映画のマジックというのは、色がないという事実によってこそ生み出されるものなのです。

『何がジェーンに起こったか?』

憎しみと恐怖

ホラー映画というと、悪魔の憑依であったり、特殊効果であったり、呪われた家であったり、血のりといったものが思い浮かぶでしょう。これらが始まったのは70年代からで、この頃『エクソシスト』などの映画が登場し、その後のホラー映画の常識が変わりました。

それまでは、ホラー映画の帝王といえばアルフレッド・ヒッチコックでした。彼の映画のほとんどが白黒で撮影され、人々は今とは異なる種類の恐怖に慣れていました。それはもっとさりげなく、もっと心理的で、あからさまな描写はせずに役者や音楽やほのめかしの力によって恐怖を演出するようなものでした。

「そう、ベティ・デイヴィスは私の大事なシーンをいくつか盗んだのです。でも面白いのが、もう一度映画を見返してみると、彼女がそのようなことをした理由は、あの人の演技がまるで自分自身のパロディのように見えるからなんです。それでも私の演技はスター級に見えていましたけどね。」

-ジョーン・クロフォード-

『ジェーン』は憎しみかホラーか?

今はそれらすべてが変わってしまい、誰も『ジェーン』がホラー映画だとは思わないでしょう。しかし映画が初めて世に出た時、人々はこれをホラー映画として観ました。そして実際のところ、ベティ・デイヴィスの目は特殊効果の力を借りることなく観客を震え上がらせ、ブランチ(ジョーン・クロフォード)が車イスのまま絶望的に隣人の注意を引こうとしたり助けを求めて電話を取ろうとしたシーンでは、特殊効果なしでも人々は不安な気持ちになってしまったのです。

憎しみほど恐ろしいものがこの世にあるでしょうか?もし誰かが人を憎めば、彼らはどんなことでもできるでしょう。そして特に映画の中で描かれているように、彼らが正気を失っているならなおさらです。映画の中の恐怖や不安はすべて、そう言った憎しみや敵意、そして永遠のライバル意識といったものに支えられているのです。あなたも誰かを憎むと理性を失ってしまうかもしれません。自分が与えてしまうかもしれないダメージなど気にもせず、おそらくその結果何が起こるかも考えられなくなってしまうでしょう。

『何がジェーンに起こったか?』

『ジェーン』:二人の姉妹と二人の女優

『ジェーン』では、栄光の日々を失ってしまった二人の姉妹の物語が描かれています。人々から忘れ去られた二人です。姉のブランチは車イス生活で、完全に妹のジェーン(ベティ・デイヴィス)に生活を依存しています。少し前にジェーンは姉を麻痺状態にさせてしまったという罪悪感から正気を失ってしまいました。彼女は少女時代に戻りたい気持ちを抱きながら、輝かしい日々を頭の中で反芻して過ごしています。観客たちの賞賛を浴びながら父親の横で歌ったり踊ったりしていた日々のことです。

敵意や自分本位さを含む両者間の憎しみが、この映画の主な特徴です。ほぼ現実世界と同じような感じです。映画はアーティストとしてのジェーンのシーンで始まります。彼女は自己中心的で父親によって甘やかされて育ちました。その父というのは、家族を含む周りの人間を不当に扱うような人でした。そして彼女の姉、ブランチが登場します。彼女は母親の横でジェーンを見つめ、ほとんどしゃべらず、脇へ押しのけられているように感じています。しかし映画ではジェーンのブランチに対する好意的な扱いが、彼女を妹を見劣りさせるほどの強い女性に変える様が描かれます。彼女はのちに真の映画スターとなるのです。

「死んだ人の悪口は決して言うべきではありません、言っていいのは良いことだけです…ジョーン・クロフォードは亡くなりました。良いことです。」

-ベティ・デイヴィス-

一方、ジェーンはほぼ全員から忘れ去られます。彼女にはなんの才能もなく、注目を奪われたことで姉を憎みます。ブランチとジェーンは永遠のライバル同士です。ブランチは妹に対していくらか思いやりを見せようとしますが、それがいつでもうまくいくわけではないことが映画では示されます。ジェーンが姉のために食事を用意するシーンなど、観ている人をかなり不穏な気持ちにさせるようなシーンがいくつか出てきます。また、「パパへの手紙」という曲も不気味です。

憎しみという感情

スクリーンを通して伝わってくるのはただ緊張感と憎しみでしょう。これはおそらくジェーンとブランチの物語がベティとジョーンの物語とさほど違わないからかもしれません。アートに昇華された憎しみは、映画を観終わった時に賞賛したくなるような何かに変わっているはずです。そしてその憎しみは完全にリアルなものなのです。映画撮影中のセットで何が起こったかについては色々と言われています。クロフォードのペプシに対抗するためにデイヴィスが用意したコカコーラの販売機があっただとか、演技なのに実際にデイヴィスがクロフォードを平手打ちしただとか、デイヴィスがクロフォードを引きずらなければならないシーンの撮影のために、クロフォードはわざと体重を増やそうとした、などと言った話です。

そのライバル意識はとても強烈なものだったので、クロフォードは、アン・バンクロフトがアカデミー賞主演女優賞を受賞できるように小細工をするまでに至りました。その年の主演女優賞にはデイヴィスも『ジェーン』でノミネートされていたのです。クロフォードは彼女がスポットライトを浴びるのを防ぎたいがためにこのような行動をとったのです。

『フュード/確執 ベティVSジョーン』が物語を蘇らせる

彼女たちのライバル物語は最近『フュード/確執 ベティVSジョーン』というドラマシリーズを通してテレビに登場しました。ベテラン女優のスーザン・サランドンとジェシカ・ラングがそれぞれの役を演じており、監督はライアン・マーフィーです。このドラマはあなたを映画撮影時にまで連れ出し、その裏側を覗かせてくれます。そこは女性たちが二番手に甘んじねばならず、あまりチャンスに恵まれない業界でした。そして特に美しさや若さが失われてしまっているならなおさらです。

このドラマを見れば、そのような重圧が実は彼女たちのライバル心をさらに焚き付けてしまったことがおそらくわかるでしょう。人々の関心をより集めたのは、彼女たちの女優としての技術よりも二人が互いに浴びせ合う罵倒でした。物事がもっと違った形で進んでいたら、きっと二人がこんなにまで嫌い合うライバル同士にはならずに済んだでしょう。ハリウッドが彼女たちにそうあって欲しいと願った、というのが悲しい事実です。これが、かなりの低予算あるいは有名な監督を起用できない場合(ロバート・アルドリッチ)にもってこいの宣伝となったのです。

『フュード』シリーズはこの二人のスターの人生から最も面白い場面をいくつか切り取っています。そしてそのやり方で『ジェーン』という映画のことも公衆の目の前に再び持ち出したのです。しかしただデイヴィスとクロフォードを蘇らせただけではなく、キャストも素晴らしいドラマです。特に目立っているのがサランドンとラングで、二人は演じた役柄と同様、高齢に近づきつつある女優たちです。しかしそれでも彼女たちの持つ才能は衰えていません。

『ジェーン』の賢さ

『ジェーン』は、若い観客たちが関心を示すことのなかった二人の女優を再紹介しようとしました。彼女たちは当時そのような位置づけで、すでにそのキャリアは行き詰まってしまっていました。だからこそ、この映画を作ることはリスキーなアイディアだったのです。そして、だからこそ何か別の関心を持つ人々に売りつける必要がありました。このケースでは、それは二人のスターの間のライバル心を焚き付け、それによって彼女たちにスポットライトをあてよう、というものでした。

憎しみは、愛と同じように、人の理性を失わせる恐れがありますどちらもその人の知覚を変えてしまえる力を持っているのです。実際に目の前にあるものではなく、見たいと思うものを見るようになってしまうのです。ハリウッドは幸福やモラルと言った事柄については関心を示しませんでした。重要なのはその他の大きなビジネスと同じように、この産業が作品を売ることができるかどうかということだったのです。