ニーチェが馬を抱きしめ泣いた理由

ニーチェが馬を抱きしめ泣いた理由

最後の更新: 25 10月, 2018

フリードリヒ・ニーチェはドイツの思想家で、西欧の思想家の中でも最も心に残る作品を残しています。1889年、彼はイタリアのトリノのカルロ・アルベルト通りの家に住んでいました。とある朝、ニーチェが街の中心に向かっていると、何かが彼の人生の中で変わりました。

ニーチェは、前に進まないからという理由で御者が馬をたたいているところを目撃しました。かわいそうな馬は完全に疲れ切っています。力はもう残されていません。 それでも、御者は馬を何度もたたき、疲れ果てた馬を歩かせようとしていました。

 

「怪物と戦う人は、自分が怪物になってしまわないように気を付けなくてはならない。深淵を長い時間見ていると、深淵があなたを見返してくる。」

-フリードリヒ・ニーチェ-

ニーチェは、自分が見た様子を恐れ、すぐその場へ向かいます。御者のふるまいを非難して、倒れた馬に近づきました。そして馬を抱きしめ泣きます。目撃者によれば、彼は馬に何かを言っていたものの、聞こえなかったそうです。伝説によれば、「母上、わたしは愚か者だ。」がその時のニーチェの最後の言葉でした。それから彼は意識を失い、彼の精神は永遠に変わってしまいました。

ある朝すべてが変わった

その日から、ニーチェの痴呆にたくさんの医師や知識人が興味を抱き始めました。そのことに関して、様々な憶測がなされてきています。トリノでのその朝の出来事も、少なくとも3つの異なるバージョンが存在します。一つはっきりしているのは、彼がすっかり変わってしまったということです。

白黒

その日から10年後の死まで、ニーチェが再び話すことはありませんでした。警察は彼を警戒し、公の秩序を乱したとして逮捕されています。その後すぐ、彼は精神を患う人の療養所へ連れていかれました。ここにいる間に、2人の友人に理解不能な手紙を送ります。

古い友人は彼をスイスのバーゼルのサナトリウムに連れて行きました。ニーチェはそこで数年を過ごします。19世紀の最も素晴らしい思想家のひとりは、すべてにおいて母親と妹に頼りきりになりました。知られている限り、彼が現実世界に戻ってくることはなかったそうです。

ニーチェの痴呆

叩かれた馬を抱きしめ泣くというあの日のニーチェの行動は、彼の精神的な病気の現れであるとされています。しかし、彼の周りの人は彼の不思議な行動に数年前から気づいていました。ニーチェの住む家の管理人は、彼が独り言を言っているのを聞いています。部屋で裸になって歌ったり踊ったりすることでも知られています。

自分の見た目や衛生に関してはかなり長い間おざなりになっていました。彼を知っていた人は、彼の自信に満ちあふれた歩き方が、だらしがない歩調に変わったことに気づいていました。 昔のような抜け目ない思想家でもありません。話がぎくしゃくしたり、次から次へと変わっていったりしました。

ニーチェは、言語を含め、療養所でどんどん認識能力を失っていきます。暴力的になったり、周りの人をたたいたりすることもありました。しかし、それより数年前に、彼を歴史上最も素晴らしい思想家にした有名な言葉を残しています。

ニーチェの涙

多くの人は、この馬の事件を精神を病んだ人のおかしな行動と見ています。しかし、深くもっと心の底にある意味を見ている人もいます。ミラン・クンデラは『存在の耐えられない軽さ』のなかで、叩かれた馬のそばで抱きしめ泣くニーチェの様子に言及しています。

横顔と馬

クンデラは、ニーチェが馬にささやいた言葉は、許しを乞うものであったとしています。クンデラの見方では、ニーチェは人間が他の生き物、敵、奴隷を扱う残忍性に代わって許しを得ていました。

ニーチェには、動物の権利の支持者や自然と特別なつながりがあったというイメージはありません。しかし、動物虐待の事件が大きな衝撃をもたらしたのです。 あの馬は、ニーチェが本物のつながりを持った最後の動物です。動物そのもの以上に、ニーチェはその苦しみを認識することができました。 

ニーチェは、素晴らしい教授としての評判はありましたが、当時はあまり有名ではありませんでした。残念ながら、彼の最後の数年はとてもみじめなものでした。妹が彼の書き物を誤って解釈し、ドイツのナチズムに賛同していたという誤解を生みます。ニーチェはこれに関して何もできませんでした。1900年に亡くなるまで深い夢の中から出ることはありませんでした。


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