「ノー」と言いたいのに「イエス」と答えるのはやめよう

本当は「ノー」と言いたいのに「イエス」と言ってしまうという事態はよく起こりがちです。しかし、このような癖はやめなければなりません。
「ノー」と言いたいのに「イエス」と答えるのはやめよう

最後の更新: 20 12月, 2020

あなたもおそらく、本当は「ノー」と答えたいのに「イエス」と言ってしまう自分に気づいたことがあるでしょう。そしてそんなことはやめたいとお考えですよね。なのになぜ?どうして本心と正反対のことを言ってしまうのでしょうか?これは、あなたには本当の望みを表現する能力がないということなのでしょうか?この記事を読み進め、この種の行動が起こる理由の大部分がアサーティブネスに関連しているという事実を学んでいきましょう。

アンドリュー・ソルター(1940年)は、アサーティブネスの概念をパーソナリティ特性の一つとして定義しました。具体的には、彼はこれを「個人的な権利や感情の表現」であると述べています。つまり、アサーティブネスには自分が与えたくないあるいは受け取りたくない物事を拒否する能力という意味合いも含まれるということです。

ソルターによる研究から、状況や環境が個人がアサーティブになれるかどうかを左右している、という結論を導き出すことができるでしょう。だからと言ってそれが一部の人は普通よりアサーティブネスが強い傾向がある、という事実を否定するわけではありません。とは言え、どんな人でもアサーティブネスの高め方を学ぶことは可能です。

このように、アサーティブネスには自身の権利とニーズを守ること、そして希望を正直に表現する能力を持つことが含まれます。これは明確な、しかし礼儀正しい物言いをする能力なのです。シンプルに言えば、平静を保ちながら自らの権利のために立ち上がる能力、であると言えるでしょう。

あなたは特定の場面でだけ、あるいは特定の人といる時だけしかアサーティブになれないタイプの方ですか?具体的にどんなことがあなたを押しに弱くさせる、つまり「いいえ」と言いたい時に「はい」と言わせるのでしょう?その答えを一緒に解き明かしていきましょう。

「ノー」と言いたいのに「イエス」と答えるのはやめよう

「ノー」と答えたい時に「イエス」と言うのはやめよう

お分かりのように、この問題を解決できるかどうかはアサーティブネスと大いに関わってきます。そうは言っても、どうして私たちは特定の状況下では本心を表現できないのでしょうか?

“あなたの同意なしにあなたに劣等感を感じさせる権利は誰にもない”

-エレノア・ルーズベルト-

アサーティブネスの欠如

中には、自由にはっきり、そして正直に自身の意見や願いを表現することができ、そうしたい時にはいつでも何の問題もなく「ノー」と答えられる人々もいます。しかし、それ以外の人は単にこの能力を持っていないか、あるいは十分に鍛え上げられていません。そのため、よく「ノー」と言いたい時に「イエス」と言ってしまうのです。

このことが、以下で説明する事柄のいずれにも関わる一番の原因だと言えるでしょう。そしてアサーティブネスが欠如していることの背後には何らかの理由があるはずです。例えば恐怖心や不安定さ、自尊心の低さなどが隠されているかもしれません。

他人の意見への恐怖心

人間は他人の意見を気にかけている時、本当は拒否したいことを受け入れてしまいやすくなります。ある意味で、他人と違う意見を持っているという評価が下るのを恐れていたり、批判を受けるのが嫌だという気持ちがあるのでしょう。

しかし、自尊心の向上に働きかけ、本当になりたい自分でいるための能力を高めることができればこの事態は変えられます。不安定な人は、自分についての他人の意見など大して重要ではないのだと気づかねばなりません。結局はどんなことをしたって他人の批判をやめさせることなどできないのですから。したがって、自己愛こそが常に味方をしてくれる唯一のものだと気づく必要があるのです。

仲間に入るための「イエス」

あなたはこれまでに、やりたくないことに対して同意してしまったことはありますか?そうしてしまった理由は何らかのグループに入りたかったから、あるいは他人から認められるため、などではなかったですか?

他人から好かれたいという気持ちを持つのはある程度までは自然なことだと言えます。人間は社会的な生き物であり、私たちには愛と受容が必要なのですから。したがって、人が本当はやりたくないことに同意してしまうのは他人から認めてもらうためだけではなく、受け入れてもらうためでもあるということです。

心理学者アブラハム・マズロー(1908〜1970年)は、欲求の階層ピラミッドを用いて人間の欲求を定義づけようとした際にすでにこのことに言及していました。マズローは、親和欲求と承認欲求とに関連する二つの結びつきについて説明しています。彼によれば人間は特に友情や愛情などを通して帰属の感覚を獲得し、さらに仲間からの信頼と承認を通して自己認識を高めていくそうです。

ここで先ほどのポイントに戻ってみましょう。本当にあなたのことを愛してくれている人々ならありのままのあなたを受け入れてくれるだろう、と考えるのが理にかなってはいませんか?また、全ての人から好かれることなど現実的に不可能だということ(そして全員から好かれないからと言ってあなたが悪人だというわけはないということ)を、あなたもよくご存知のはずです。

どう断れば良いかわからないからといって「イエス」と答えるのはやめよう

「ノー」を正当化する方法がわからない場合には「イエス」と答えねばならない、という間違った思い込みをしてしまうこともあるかもしれません。しかし実際にはそうではないのです。時にはただ何となく気が乗らない、という時もありますよね。それだけで断るための完璧な理由なのです。

したがって、私たちは自分の直感の信じ方を学び、「イエス」と言いたくない時には「ノー」と言えるようにならなければなりません。

不安定さと失望されることへの恐怖

本当は断りたいのに「イエス」と答えてしまうもう一つの考えられる原因は、上記全ての事項に関連しています。それは、自己評価の低さです。自分が本当は何を望んでいるのかはっきり分かっていない、あるいはありのままの自分自身を受け入れることができていない、といった状況だとどっちつかずの態度を取ってしまいやすくなります。自分の望みを把握できていない人々は、たとえ望んでいたものを手に入れることができたとしてもそのことにすら気づかないでしょう。

また、自分に自信が持てていないと、「ノー」と答えることに罪悪感を感じます。誰かの気分を害したのではないか、と心配してしまうのです。人がよく本当はやりたくないことを受け入れるという過ちを犯す理由の一つとして、他人を失望させることへの恐怖心があります。

「ノー」と言いたいのに「イエス」と答えるのはやめよう

「ノー」と言いたい時に「イエス」と答えるのをやめるための簡単な考察

ご覧の通り、人が本当はやりたくないことに同意してしまうのには複数の理由があります。はっきりしているのは、自尊心が欠如している人や批判に打ち負かされやすい人の方が、他人を喜ばせようとして本心を隠す可能性が高いということです。

これに関しては、アサーティブネスと率直性の身につけ方を学ぶことが、自分自身を知って我が道を進むためのカギとなるでしょう。

自己知識は、疑いの余地をほとんど残しません。これは良かれ悪しかれ一生涯続くプロセスなのです。自分自身の道を辿り、学びへ向けて目を見開きましょう。そうすれば徐々に「ノー」と言いたい時に「イエス」と答えてしまわない自分へと成長していけるはずです。

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  • Manuel J. Smith. (2003). Cuando digo no, me siento culpable, Nuevas ediciones de bolsillo.