パンズ・ラビリンス:不従順が義務である時

· 2019年1月27日
パンズ・ラビリンスは、ギレルモ・デル・トロの作品で、不従順に関する強いメッセージが込められています。

『パンズ・ラビリンス』(2006年)は、映画監督ギレルモ・デル・トロの最高作だと多くの人が言います。この映画から、彼がどれほどのファンタジー好きかが伝わります。この映画は大成功でした。3つのアカデミー賞:撮影賞、美術賞、メイクアップ賞を含む数々の賞を受賞しました。

この映画は、スペインのとても悲しい時代、スペイン内戦後の1944年が舞台です。この時代、飢餓や飢饉が多くありました。おとぎ話を信じること、作ること、想像することが難しい時代です。国際的な孤立、一つのイデオロギー(ファシズム)への服従、不幸がスペインの人々の多くの生活を支配していました。

パンズ・ラビリンスは、二つの話が混じり合う物語です。物語の初めから、話が同時に起こるのは明らかです。ナレーターが昔の暗黒街を生きたプリンセスについて語り、字幕では、これがスペインの戦後であることを知ることができます。同時に、純粋なファンタジーであることを思わせるメロディーが流れます。

 

オフェリアとは誰?

オフェリアは、二つの物語を結びます。パンズ・ラビリンスは、過酷な現実、政権への服従、ゲリラ軍の抵抗といった状況から、この小さな少女のとても純粋なファンタジーの世界へと私達を導いていきます

デル・トロは、美的視点と暗黒街で私達を魅了します。この映画には、多くの不従順なことをはじめ、ファンタジー、現実、おとぎ話、不幸が混じり合います。

 

なぜ、オフェリアなのか?

「オフェリア」という名前から、すぐに、シェイクスピアを思い起こすでしょう。特に、ハムレットです。ハムレットでは、オフェリアはポローニアスの娘で、レアティーズの妹です。ハムレットが誤ってオフェリアの父親を殺してしまった時から、彼女は狂います。狂気により、彼女は子どもっぽく、無邪気で、悲劇的になるのです。

オフェリア

舞台上では見られないオフェリアの死は、ハムレットの母親ガートルードが関わっています。多くの批評家が、これは最も詩的な死のひとつだと評価しています。オフェリアは、愛により壊された女性なのです。

オフェリアの影響を受けたロマンチックな絵が数多くあり、それは彼女が女らしさ、純粋さ、愛と死の象徴だからです。彼女の死の物語は、魔法的でもあります。

シェイクスピアのオフェリアは、男性の世界では、従順に見られます。しかし、彼女が心を乱す時、従順さは壊れ始めます。また、オフェリアの死のイメージは、何か神秘的なものと結び付けられます。

パンズ・ラビリンスでこの名前が使われたのは、偶然ではありません。デル・トロが映画を見る人にシェイクスピアの登場人物を思い起こさせるように選んだ名前です。同じように、オフェリアの母親のカルメン、そして女王ガートルードにも何か似たところがあります。二人とも悪人と結婚した未亡人です。カルメンは、ビダル大尉と結婚します。彼は、共和党のゲリラの痕跡を破壊することが目的で活動していました。

 

パンズ・ラビリンスにある女らしさ

パンズ・ラビリンスで、女性はあまり好まれる位置にありません。カルメンは、昔ながらの女性の価値を示します。彼は、男性に従順です。ビダルの元で家事をするメルセデスは、これらの価値に対して抵抗しようとします。大尉に忠実に見えますが、実際は、皆に隠れてゲリラを助けようとしているのです。オフェリアは、メルセデスと平行する物語の中で生きています。彼女は、自身の物語のヒロインで、暗黒街へ繁栄をもたらす役です。

デル・トロは、父権制をネガティブなものとして描いています。そうすることにより、女性らしさを評価しているのです。暗黒街に、太陽はありません。月のみが輝きます。月経サイクルやお産と関係するため、月は女らしさの象徴なのです。一方で、人間の世界では、太陽がプリンセスを盲目にし、過去を忘れさせます。太陽は、男性らしさを表し、ネガティブな意味を含むのです

この映画で、マンドレイクの根は大きな役を果たします。人間像に強く似せた根のある植物です。オフェリアは、マンドレイクの根を使い、母親のお産を助けます。お産を示す印として、彼女はミルクの入ったボールにマンドレイクの根を入れます。

ビダル大尉は、この話の悪役で、家父長の価値を具現化しています。そして、オフェリアはその反対を象徴しています。二つの世界には、二つの物語があります。暗黒街は、少女の純粋さと女性らしさを表します。反対に、現実世界は、敵対的です。戦争の痛みを知らされます。また、この現実世界は、男性らしさと結び付けられています。

少女

 

象徴

人間の歴史で、農耕の時代の始まり頃、ブッシュマンのような人は、暗黒街を生と死の間をつなぐ場所だと見ていました。それは魔法のような場所でした。暗黒街に行った少女は、物事を経験し、大人の女性になるということが、多くの話の中で出てきます。純粋さを失い、変化するのです。

暗黒街では、人間の特徴をもった動物のキャラクターが出てくることがよくあります。そこには、チャレンジや誘惑、いつも頼もしいとは言えないガイドがいます。これらの物語は、教義的で、例え話のようです。これらすべてを、パンズ・ラビリンスに見ることができます。

ファウヌスは自然の物事を表します。彼が、二つの世界の間をつなぎます。完全に信頼できるとは言えないキャラクターです。ラビリンスは、真実を求め、また、危険を表します。木や血は生命と関係し、ペールマンは、現実世界の力、抑圧を示します。時間はビダルとつながっているようで、彼はいつも時計をコントロールしようとします。これは、時間の神クロノスを連想させます。

また、この映画で数字の3が度々登場します(オフェリアの3つのチャレンジ、3人の妖精など)。古典神話で、神聖を示すのが3です。また、キリスト教では、三位一体と関連付けられます。このように、デル・トロは完璧で神聖な世界を作り上げたのです

 

映画から学ぶこと

パンズラビリンス

すべての神話と同じよう、パンズ・ラビリンスからも学ぶことがあります。デル・トロは、ひとつの考え方のみが存在する世界を作ろうとしました。不従順が義務となる現実です。

ここで、医者、メルセデス、ゲリラがそれぞれの役を果たします。抑圧にもかかわらず、逆らうことにするのです。不従順には、二つの面があります。オフェリアがペールマンのテーブルで味見しようとした果物のような誘惑に負ける間違いへと導くこともあれば、妖精に背いた時のように良い方向につながることもあります。

登場人物は現実を示します。しかし、それぞれが良いか悪いかで、中立のキャラクターは存在しません。この意味で、デル・トロは、主観的な姿勢をとっています。偏見がないわけではありません。また、明らかに抵抗勢力の側に立ち、ゲリラを支援し、不従順な登場人物を支えます。

映画は、最終的な説明なく終わります。オフェリアの冒険は本当だったのでしょうか?それとも、想像だったのでしょうか?

「大尉、そんな風に従順でいること…疑問を持つこともなく従うために従うなんて…それはあなたみたいな人だけがすることです。」

-パンズ・ラビリンス-

Schein, C., & Gray, K. (2015). The eyes are the window to the uncanny valley: Mind perception, autism and missing souls. Interaction Studies. http://doi.org/10.1075/is.16.2.02sch