パラノイアって何?有害な理由

2019年9月20日
パラノイアと呼ばれる妄想性障害は、複雑な精神的および感情的な病気です。精神医学の分野では、パラノイアをより大きな障害の小さな部分と見なし、精神分析においては、精神病性障害の一つと考えられています。

パラノイアとは一体何ですか?

この質問に答える前に、精神分析医と精神科医のパラノイアに対する反応がわずかに異なることに言及する価値があります。

パラノイアという概念は、精神医学の分野で最初に始まり、最初はそれが単なる精神異常の一種であると信じられていました。時間の経過とともに、精神医学の分野では他の病気の症状の一つとしてパラノイアを扱うようになりました。

専門家たちが、統合失調症などの他の精神疾患の一部としてパラノイアを診断するようになったことが原因でした。その結果、パラノイアそのものが一つの病気ではなく、他の病気の症状の一つとみられるようになったのです。DSMと呼ばれる精神障害の診断と統計マニュアルによれば、パラノイアに最も近いのが妄想性障害です。

精神分析の分野ではパラノイアの解釈が異なります。ジークムント・フロイトは、強迫観念が原因の一種の神経症と考えました。

その後、シュレーバー事件などにより、フロイトはパラノイアを精神病の一形態と見なし始めました。その後は、ラカンがエイミーの症例に基づいてパラノイアに関する博士論文「治癒をしたパラノイア」を執筆しました。

「パラノイア患者が完全に誤解されることはない。」

-ジークムント・フロイト-

パラノイアに関する歴史

パラノイア

長い間、人々はパラノイアという言葉を精神異常の同義語として使用していました。

1863年、ドイツのカーバウムによってパラノイアが単独の問題として初めて定義されました。

1879年には、クラフト・エビングがこの概念をさらに深く研究しました。

パラノイアというこの精神的な問題を説明する他の試みもありましたが、1889年からのクレーペリンの理論は際立っていました。そしてこの瞬間から、人々はパラノイアを、他に意味がある症状がなく、精神錯乱をする一種の障害として理解しはじめたのです。

1987年まではDSMの中に分類されており、「妄想障害」や「妄想性人格障害」などの症候群とされていました。

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精神分析における妄想

ジークムント・フロイトは、彼の著書The Neuro-Psychoses of Defense(1894年)で、パラノイアを完全に概念化することなく、パラノイアについて言及をはじめました。

フロイトの精神分析は主に神経症に焦点を合わせており、当初、フロイトは妄想を投影と関連付けていましたが、それ以上の結論は出しませんでした。

ナイサーは、精神分析が妄想を精神状態と見なす基本的な手法を形成しはじめました。ナイサーは、妄想的な人は、見たり聞いたりすることがすべて何らかの形で自分に関するのものであるという本質的に「ユニークな解釈方法」を導き出しました。

ジャック・ラカンは、このナイサー概念をさらに深く掘り下げ、フロイトがシュレーバー事件について語る1958年の文献において、パラノイアを「他者の場所で楽しみを見出すこと」と定義しています。

ラカンは不可解な作家であり、彼の概念をすべて理解するのは簡単ではありませんが、簡単にいうと、彼の発言はパラノイアのモットーのようなものです。「他者は私を楽しんでいる。」

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パラノイア 有害

パラノイアの概念の明確化

精神分析においては、パラノイア患者は私たちが考えるような単なる疑い深い人ではありません。パラノイア患者は、2つの仮定に基づいて考えます。

1つ目は、「邪悪なこと」または「悪いこと」が解き放たれて、パラノイア患者はその被害者となります。

2つ目は世界で起こっていることと自分を結び付けてしまうということです。

パラノイア患者は、妄想に基づいて、これらの2つのレンズを通して世界を解釈します。妄想は基本的に無意味な話であり、パラノイアに関して言えば、その妄想による物語はパラノイア患者を食い物にする「何らかの悪」についての物語です。例えば「悪霊が私の心に取り憑いている」などです。

ラカンが指摘したモットー「他の人は私を楽しんでいる。」これは、妄想に直面すると、パラノイア患者は「受動態化された」と感じ、自分に起こるすべてを他へと責任転嫁し、「私じゃなく、それは彼らのせい」などと話すようになります。

この信念と妄想は、嫉妬などにつながるだけでなく、より深刻な「エイミー事件」などにもつながる可能性があるのです。

  • Freud, S. (1911). Puntualizaciones psicoanalíticas sobre un caso de paranoia (Dementia paranoides) descrito autobiográficamente. Obras completas, 12, 1-73.