「レジャー恐怖症」- 自由な時間を持つことへの恐怖

「レジャー恐怖症」- 自由な時間を持つことへの恐怖

最後の更新: 29 6月, 2018

「レジャー恐怖症」は、スペイン人の心理学者のRafael Santandreuによって作り出された言葉です。世界は全く気づいていませんが、現代社会に広まってきている問題です。自分の自由時間の使い方がわからないと人々が心理的な助けを必要とするとき、それはかなり深刻な問題です。仕事やキャリアにのめりこんでいるか、向き合いたくない問題を避けるためにこれらのアクティビティーを利用しています。

どうやら、最近では世界中でたくさんの人が自由な時間と向き合ったときパニックのような感覚に襲われるようです。あるいは、イベントやアクティビティーが予定されていないような時間に対してパニックになります。しなくてはいけないことをすべてこなし、「レジャー恐怖症」の人の言う長い間何も生み出さない時間があるときです。

 

「レジャーは差し迫る問題になります。人間が自分自身に耐えられるかは、はなはだ怪しいからです。」
-フリードリヒ・デュレンマット-

なぜ自由な時間への恐怖を感じるようになるのでしょうか?親や祖父母の時代は、自由時間は授かりものであり、特権でした。自由時間はレジャーや休息の時間です。嫌悪を抱かせることなどありませんでした。それよりも逆です。自由時間は大切にされ、求められてきました。 一体何が起こっているのでしょうか?

レジャー恐怖症と退屈

退屈が現代社会で主要な罪のステータスを得てしまったことを示唆します。レジャー恐怖症の人は、退屈の可能性にパニックを感じます。この感覚は耐え難く、文字通りパニックになります。

悩む男性

このように感じる人は何もしていないときに絶望的になります。自由時間をかなりの脅威として見なしてしまいます。彼らが感じていることを引き出してみたら、目の前に大きなブラックホールがあって深淵に引きずりこまれるような感覚です。

自由時間に直面すると、根拠もない幻想が現れます。何かひどいことが起こる気がするというような感覚です。レジャーのエレメントが、未知の恐ろしいもので、できれば直面したくないものであるかのようにです。

「レジャー恐怖症」の同義語

「レジャー恐怖症」に苦しむ人の同義語が、不安症です。しなくてはいけないことがない時間の空きができるとひどく感じる不安感です。自由時間が目の前にあると、あるいは何もプランがない週末が迫ると、この感覚がやってきます。特に休暇の前になると不安感は増します。

こういった人たちは、効率性と生産性のイデオロギーに強く影響を受けています。何よりも優先順位は達成と成功です。幸せではありません。最悪なことに、彼らは達成を質ではなく量で測ります。どれだけのタスクをこなしたとか、どれだけの目標を達成したかなどをよく話します。これらの達成の本当の質や価値に関して話すことはほとんどありません。

手のひら

このようなタイプの人が自分の生き方のスタイルを子どもにも押し付けようとすることは深刻な問題です。こういった親が、様々なコースや課外活動に子どもたちを通わせる親です。10歳までにドイツ語を話せるようになってほしいとか、13歳までにピアノが完璧に弾けるようになってほしいと期待します。しかし、こういった親は不安になる方法を子どもに教えているんです。何かを生み出したり学んだりするのに使われていない時間は最悪のものである、という考えを子どもに植え付けます。

レジャーは大事!退屈も大事!自由時間を楽しもう!

「レジャー恐怖症」のコンセプトの父、Rafael Santandreuは、退屈する方法を学ぶべきだと主張しています。別に退屈したっていいんです。ボーっと壁を見て一時間過ごしたり、ばかばかしいことを考えたっていいんです。そうすることに問題がないだけでなく、むしろ必要なことなんです。これは生活にバランスをもたらします。一生懸命になって何かに興味を持つことはいいことです。 しかし、ときどき休んだり退屈することも同じくらいいいことです。

Santandreuは、リラックスした精神のほうがもっと生産的だということを示唆しています。「理想的な割合は、1時間のビジネスと23時間のレジャーだ。」とまで言っています。知っていますか?ライオンは1週間に1度しか狩りをしません。ミゲル・デ・セルバンテスは、カスティーリャで余暇を使ってドン・キホーテを執筆しました。彼の収税史としての仕事は何のメリットもなかったのです。セルバンテスの自由時間が、言葉の変化や今でも読まれる普遍的な文学を生み出したんです。

考える人

だから、街をのんびり歩きながら景色を楽しむ力を取り戻すべきです。スローダウンして、人生をもっとゆっくり歩むべきです。少ない数のことを喜びをもって行うほうが、たくさんのことをストレスを感じながら行うよりいいはずです。生きていることのできるこの短い時間を、レポートを書いたりミーティングに参加したりすることより愛することや想像することに費やしたほうが良くないですか?幸運にも、何もしないことは罪ではありません。退屈は疫病ではありません。むしろ逆です。何にもしない時間があるほうが、人間より良い人になれるのです。


このテキストは情報提供のみを目的としており、専門家との相談を代替するものではありません。疑問がある場合は、専門家に相談してください。