ロナルド・デイヴィッド・レイン:統合失調症の研究者

レインは、統合失調症患者に関する研究によって名声を得た精神科医です。彼は、この病気を抱える人々は自分たちが置かれていた環境に基づいて異様な振る舞いをするのだ、という理論を提唱しました。
ロナルド・デイヴィッド・レイン:統合失調症の研究者
Gema Sánchez Cuevas

によってレビューと承認されています。 心理学者 Gema Sánchez Cuevas.

によって書かれた Camila Thomas

最後の更新: 21 12月, 2022

ロナルド・デイヴィッド・レインは、統合失調症治療への新たな治療アプローチで知られるイギリス人精神科医です。彼はまた、1960年代70年代の反精神医学と呼ばれる運動の先導者でもありました。

その他の多数の心理学者や社会科学者たちと同様に、レインはかの有名なタビストック・クリニックで働き、調査を行いました。それから何十年も後になって、彼は最終的にタビストック研究所の研究チームのメンバーとなりました。この研究所が、彼の重要な研究を行うために必要な分以上の資金を彼に持たせることを確約しました。

彼は主に統合失調症や統合失調症患者の治療環境の研究に力を注ぎました。レインは、患者たちは彼らのいた環境に基づいて異なる行動をとるのだ、と提唱しています。この記事を読み進めて、ロナルド・デイヴィッド・レインの人生とその重要な業績について詳しく学んでいきましょう。

ロナルド・デイヴィッド・レイン 統合失調症 研究者

ロナルド・デイヴィッド・レイン:人生初期

レインは、グラスゴー(スコットランド)のゴバンヒルで1927年の10月7日に生まれました。労働階級の家族のもとに生まれた彼は、デイヴィッド・マクネア・レインとアメリア・レインの一人息子でした。

彼は1945年まで、グラスゴーにある男子校の小学校へ通いました。ここで彼は優秀な生徒かつ音楽家として目立った存在となりました。そして1944年に、ロイヤル音楽アカデミーの単位認定を受け、1945年の4月には英国王立音楽大学での学業をスタートさせました。

この学校への就業中、彼は哲学に熱心な学生でした。彼が高い関心を抱いたのは、フロイト、マルクス、ニーチェ、そして誰よりキルケゴールなどです。のちに、彼は医学と精神医学の勉強を始め、1951年にはグラスゴー大学で医学の学位を取得しました。

天職となった精神科医

1951年から1953年の間、彼は英国軍医療部隊に徴集され、精神科医として従軍しました。彼はネットリー(サウサンプトンの近く)にある英国軍精神医学部隊に派遣され、その後ヨークシャーのキャテリックにある陸軍病院で働きました。

1953年の終わりに差し掛かると、彼は陸軍を辞め、グラスゴー大学で教鞭をとり始めます。その間、彼は精神科医としてのトレーニングを完了するため、ガートナヴァル国立病院へ通いました。この病院で、彼は実験的な治療環境である「ランプスルーム(娯楽部屋)」の使用を試しました。この部屋は、統合失調症患者が楽しんだりリラックスしたりすることができるような場所です。

ここではスタッフも患者も普段着を着ており、患者たちには料理や芸術活動などをして過ごさせます。こういった日々の活動は、患者たちにスタッフや他の患者たちと、医療施設的というよりはより社交的な雰囲気の中で交流することができるように提供されていました。

この新規治療法の後、彼の患者たち全員が症状を改善させました。そして1956年の1月、レインは精神科医としての認定を受けます。

レインの職業人生

1956年の終わりに、ロナルド・デイヴィッド・レインはロンドンのタビストック・クリニックで「シニア・レジストラー」の称号を得、1960年までここで研究を行いました。

タビストック・クリニックの医師たちの主な研究対象となった患者たちは英国陸軍の軍人たちで、その第一の目標は戦争が人々に残しかねないツメ跡について特定することでした。

その後間も無くして、タビストック研究所が、非営利の非政府組織として登場しました。ロックフェラー財団によって設立されたこのタビストック研究所は、社会現象や心理学について、教育や研究、そして職業上の成長に焦点を当てながら研究を行いました。

ロナルド・デイヴィッド・レインはこの研究所で約30年間働きました。また同時に、精神分析研究所も彼に精神分析家としての資格を与えました。

1958年に彼が始めた研究は、1964年に出版した自著『狂気と家族』の元となりました。彼はまた、のちに主要な共同研究者となったアーロン・エスターソンやデイヴィッド・クーパーを含む多くの人々が関わったセミナーを作り上げました。

レインの業績と評判

彼の著書『ひき裂かれた自己』は1960年に出版されました。売れ行きはそこまで振るわなかったものの、批評家たちからは肯定的なレビューを受けています。それからすぐに、彼は次の著書『自己と他者』(1961年)を出版します。

精神分析家としての資格を得たレインは、ロンドンで個人的に臨床を始めます。彼はドラッグ、特にLSDを用いた実験を行い始めました。1962年にはロンドンランガム・クリニックの理事長に任命され、それ以来彼はさらに人気を高めていきました。

その後の数年間のうちに、彼は多くの記事を執筆し、それらはのちに『経験の政治学』という本にまとめられました。また、タビストック研究所の別の研究員であるデイヴィッド・クーパーとともに『理性と暴力』という本も出版しました。

キングスレー・ホール・プロジェクト

1965年に、彼はアーロン・エスターソンやデイヴィッド・クーパー、また当時の研究者たちとともにキングスレー・ホール・プロジェクトを発足させました。今プロジェクトは1970年まで続きます。

キングスレー・ホール・プロジェクトは、実験的で非階層的なコミュニティの形成を目指しました。ここは、統合失調症の患者たちがドラッグや電気ショックセラピーや手術(ロボトミー手術)などを行わなくても自分たちの精神病に対処することができるような空間です。

そのインスピレーションとなったのは、レインの「ランプスルーム」や、共同研究者たちの経験などでした。クーパーの「ヴィラ21」などの他のプロジェクトも、キングスレー・ホールの土台となっています。クーパーのプロジェクトにおいて、彼らはスタッフと患者の垣根を無くした統合失調症患者のためのコミュニティを作り上げました。ここでは両者の関係は、社交に基づいたものだったのです。

キングスレー・ホールの成功を受け、レインはアメリカ合衆国でツアーを行いました。この影響で、彼はその他の多く著名な精神分析家たちと知り合うこととなり、左翼政治と精神分析を結びつける試みを行っていた弁証法による解放議会に参加しました。

そこで彼は「明白なもの」と呼ばれるスピーチを行い、これはこの議会のスピーチアンソロジーに登場することとなりました。

個人的な生活

1952年に、彼は恋人のアン・ハーンと結婚しました。そして同年、二人は最初の娘であるフィオナを授かります。それ以降、二人のもとにはスーザン、カレン、ポール、エイドリアンの四人の子どもが生まれました。

アンと離婚したあと、レインはジュッタ・ワーナーと再婚します。彼らは三人の子どもをもうけました。その後、彼は別の二人の女性との間にさらに二人の子どもを作りました。

1971年にキングスレー・ホールが閉鎖されると、レインはサバティカル休暇を取得し、スリランカとインドを訪れることを決断します。この旅の間、彼はヴィパッサナー瞑想の実践を始めました。

旅に出るまでの間に、彼は自身の個人院を閉鎖しました。これは1960年代にLSDセラピーを行っていたのと同じ個人院です。インドからの帰国後に彼が再びLSDを使ったセラピーを始めたかどうかは定かではありません。

1989年の8月23日、テニスをしている最中にロナルド・デイヴィッド・レインは亡くなりました。診断報告書によると、死因は心臓発作だったようです。

ロナルド・デイヴィッド・レイン 統合失調症 研究者

ロナルド・デイヴィッド・レインが残した遺産

キャリアの大半を通じて、レインは統合失調症の根底にある原因を解き明かそうとしてきました。また、彼は当時統合失調症患者に対して用いられていた一般的な治療法には明確な反対の立場をとりました。その頃かなり優勢だった入院治療や電気ショックセラピーに代わる治療法を確立しようとしたのです。

“我々が考え、行うことの範囲は、自分たちが気づけていないような事柄によって制限されている。そして、気づけていないという事実にも気づけていないので、それがいかに我々の思考や行為を形作ってしまうか気づくまでは、これを変えるためにできることはほとんどないのだ”

-ロナルド・デイヴィッド・レイン-

レインは、存在論的不安(自身の存在についての不安感)が防御反応を引き起こす、という理論を立てました。この反応により、個人の自己が別々のパーツへと分裂させられてしまうというのです。そしてそれが、統合失調症に見られる精神病的な特徴を引き起こすことになります。

自著『狂気と家族』のなかでは、ある患者グループについて触れており、彼らの精神疾患は少なくとも部分的には家族との関係性が原因となって引き起こされた、と彼は考えています。この考え方は当時人々の間に大きな動揺を生みました。

統合失調症に関する当初の彼の立ち位置には賛否がありましたが、その後の数年間で彼は勢力を強めました。概して、ロナルド・デイヴィッド・レインは統合失調症患者治療のパイオニアであり、彼らをきちんと人間として扱い、治療できるようにした人物であると言えるでしょう。


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  • Laing, R. D. (1969). El cuestionamiento de la familia. Paidós.
  • Laing, R. D. (1988). Las cosas de la vida: un ensayo sobre los sentimientos, la realidad y la fantasía. Editorial Crítica, Grupo Editorial Grijalbo.
  • Herrera Zavaleta, J. L. (2009). Filosofía y contracultura.

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