幸せな人生を送るための三猿
三猿を知っている人は多いでしょう。3匹の猿で、1匹は口を隠し、2匹目は耳を隠し、3匹目は目を隠しています。17世紀の木の彫刻で、広い意味で3つの生き方を示しています。
この彫刻は日光東照宮に祭られています。それぞれ名前があります。ミザル、キカザル、イワザルです。これは「見ない」、「聞かない」、「言わない」を表わしています。さて、幸せな生活を送ることと、このサルたちに何の関係があるのでしょうか?
このサルたちは、孔子の教えを体現しているように見えます。彼の有名な言葉に、「悪を見ざる、聞かざる、言わざる」というものがあります。その原理は、世界のすべてから逃れるのではなく、そもそも邪悪なものとは関係を持たないということです。これは幸せな生活を送るために重要です。
「悪を避けることができるのに、それを受け入れるのは馬鹿げている。」
-プビリウス・テレンティウス・アフェル-
孔子と三猿
孔子の原理は、悪を避けるように説いています。しかし、これは理にかなっているでしょうか?最初に頭に浮かぶのは、人は悪を見て、聞いて、話すことを拒否することはできても、世界から悪が消えるわけではない、ということです。しかし、自分に別の質問を投げかけることが出来ます。悪について知ったり話したりすることで、人生で何を得られるでしょう?
人間の奥深くには、邪悪なものに満足感を得てしまう偏執的な傾向が眠っています。倒錯を意識することで、自動的に脅威から身を守ることが出来るかもしれません。例えば、犯罪が起こりやすい道があるなら、それを避けることで襲われるリスクを軽減できます。
筋が通っているように聞こえますよね。しかし、よく考えてみると、そうでもないのです。世界の邪悪なものは、基準ではなく例外です。正直で良い人も多く存在します。
さらに、緊張していたり固くなったりしていると、強盗の良い獲物になってしまいます。別の言葉で言えば、被害者にも犯人にも共通するところがあるのです。
悪への興味と幸せな生活を送ること
量子力学の最新の飛躍を知らずに生きられるなら、世界の悪を知らずに生きることも可能なはずではないでしょうか?テレビでも実生活でも、残忍な犯罪を目撃すると、犯罪を犯す可能性や被害妄想の可能性が高まるということには理由があるということを覚えておいてください。
これはミラーニューロンと関係があります。脳は現実と空想の区別がいつもついているわけではありません。ホラー映画を見ると怖くなるのはこのためです。これは作り話だとわかっていても、人間の中の感情が動き出してしまうのです。
それゆえに、邪悪なものを見て、聞いて、話すことで、精神に有害な影響があります。邪悪なものは、人間の恐怖や心の奥深くに眠っている怪物に巣食います。だから、やはり孔子は正しかったのです。
精神衛生
三猿の彫刻は、幸せな生活のための手引きです。精神衛生のための基本です。邪悪なものを見て、聞いて、話すことは、不安へと導きます。世界には悪い人よりも良い人の方が多いということを急に忘れてしまいます。こうなってしまうのではなく、逆に考えましょう。ひどいことが起こる「かもしれない」現実に生きているということです。
人は「自分が邪悪なものの被害者になったらどうしよう」と考えます。ここでも孔子の考えが当てはまります。こういった思考は締め出すように努力しなければいけません。
邪悪で中傷的なものは、注目を集める題材です。恐怖と同時に空想を掻き立てる痛みのポルノのようです。
恐怖と魅力というのは神経の問題です。幸せな人生を送ることは、世界やその世界の中での自分の在り方の見方を変えることです。だから、邪悪なものを見ること、行うことを拒否するのは、意味が通っています。