私は無駄な生き方をしているのだろうか?

これまでに、「私は無駄な生き方をしているのだろうか?」と自分自身に問いかけたことがある方のために、いくつかアドバイスを紹介します。この記事で、これからの人生に役立つヒントを学んでいってください。
私は無駄な生き方をしているのだろうか?
Bernardo Peña Herrera

によって書かれ、確認されています。 心理学者 Bernardo Peña Herrera.

最後の更新: 21 12月, 2022

おそらく皆さんにとって歳月というのはあっという間に過ぎ去ってきたものだと思います。仕事上の義務、日々の単調な日課、そして様々な心配事に追われて忙しく過ごされてきたのではないでしょうか。忙しさのあまり、自分の人生がどんな状態になっているのかについて深く考える暇もなかったかもしれません

しかし、特にいつもとは変わらないようなある日、自動的に過ぎて行く生活に疲れ、物事に対して疑いを持ち始めることがあります。頭の中に繰り返し様々な疑問が湧いてくるのです。私は望んでいたものを手に入れることができているのだろうか、それとも無駄な生き方をしてしまっているのだろうか?なりたかった自分になれているのだろうか?

もしこういった問題について考えたことがあるとしても、あるいは今まさにそのような時期に直面しているとしても、それはあなたが想像している以上に正常なことだ、というのを忘れないでください。人生のいずれかの時点で、ほぼ誰もが皆同様の難局を経験するのです。

そうは言っても、こう言った疑問を自分自身に投げかけてしまうということ自体は少々恐ろしいことかもしれません。それは、その問いかけによって自分がどこまで影響されてしまうかがわからないためです。しかしまた、これはあなたの中にポジティブな内観を生み、自らを精神的に豊かにするための時期にもなり得ます。同様に、この危機的状況から方向性を変えられるような新たな衝動が湧いてくることもあります。それまで以上にポジティブで良好な自己認識ができている状態へと、人生を前進させるチャンスでもあるのです。この引用文が、そのことを物語っています。

“人生に潜む真実というのは、あなたにとって、いや誰にとっても完全に真新しいものであるわけではないのです。あなたの中の奥深い場所にはある次元が存在していて、そこではすでに何もかもを分かっているはずなのです”

エックハルト・トール

私は無駄な生き方をしているのだろうか?

大きな疑問:「私は人生を無駄に生きているのだろうか?」

人が自分自身にこの問いかけをするとき、彼らは自らの内側に割れ目のようなものが開き始めているかのような感覚に陥ってしまいます。実は、このせいで自分の人生を回顧的に分析し始めてしまうという事態が起きるのはよくあることです。そういった内省的な思考により、人生において達成したことや獲得してきたことと、ネガティブな出来事や失敗との間のバランスを取ろうとするのです。

その結果、様々な感情が同時に湧き出てくることになります。そういった感情は、それまでしばらくの間眠っていた感情であったり、抑圧されていた感情かもしれません。これらを特定するためのカギとなるのは、その感情の出どころを探り、表現することです。これは、自分が現在置かれている状況を紐解くヒントとなり、前進するための妨げとなっているような負荷から自らを解放する手助けとなります。

お分かりのように、こういった疑問を自らに問いかけると、精神的にも感情的にも奥深いところまで探求する必要性が出てきます。対象となるのは、自分が重要だと感じる全ての人生の側面です。これらを次から次へと検証していくことになるのです。中でも、以下にあげるものがこのプロセスにおいて特に意義深いものと言えるでしょう:

キャリアに関して、自分は人生を無駄に過ごしてきたのだろうか?

「私は自分の仕事を好きと言えるのだろうか?」「この仕事はどういった観点を私に与えてくれているのだろうか?」「私は一生ここで働いて終わるのだろうか?」「この仕事のせいで人生を無駄にしていないだろうか?」

こういった疑問には、簡単な回答が存在しないことがほとんどです。生きるために働くことは必要不可欠ですし、そこから逃れることはできないというのが現実です。だからこそ、仕事周りの環境全てを思うがままに操ることはできないまでも、仕事との向き合い方というのはその人次第で変わってきます。

それにもかかわらず、職業に自らの幸福を委ねてしまうのは一般的にはあまり良い考えとは言えないので、心理学者の多くは仕事を選ぶ際は慎重になるべきだ、と提唱しています。理想的なのは、感情面への影響がなるべく少ない仕事を選ぶことでしょう。特に、気分が優れない場合や、仕事によって煩わされていると感じる場合、または仕事からネガティブな影響を受けている場合にはなおさらです。

“才能があれば試合に勝つことはできるが、チャンピオンシップを勝ち取るためにはチームワークと知性が必要だ”

マイケル・ジョーダン

重要なのは、誰に対してであっても彼らが望まないことを強いることはできない、という点に気づくことです。そうすれば、自らの仕事を取り巻く状況について改めて振り返ることができ、もしそれが最善だと感じるのであれば新たな機会を求め始めることができるのです。

仕事によって満足感よりもストレスを多く感じてしまっているのであれば、それがそのサインでしょう。成長に向けて新たな機会を探し始める時が来たということであり、それを経て有害な状況に留まり続けてしまうような事態を避けるのです。しかし、時にはそれが不可能であるというのも事実です。

人生は、瞬間の積み重ねで成り立っています。だからこそ、一秒一秒を有効利用することが、人生を上手く生きる手段となり得るのです。例えば、仕事のせいでいつでも家に居られるわけではない、というケースについて考えてみましょう。こういった状況のせいで身動きが取れなくなり、人生を楽しむことができないという事態を避けたいのであれば、自分自身で工夫する必要があります。家で過ごす時間を忘れないようにするために努力してみてください。

家族

「私は家族との時間を大切にできているだろうか?」これもまた、頭に浮かんでくる大きな疑問かもしれません。ポジティブにこれと向き合う方法は、違う形でこの問いをとらえてみることです。そうすると、それまでとは別の答えを導き出すことができますよ。

これはつまり、この問いを、ネガティブな感情を伴う部分を排除した形に組み替え直す、ということです。そうすることが、行動につながります。これまでに経験してきた家族の形よりももっと理想的な家族を目指し始めることができるかもしれません。次のようなことを試してみてください:「確かに私は家族との時間を無駄にしてきてしまったかもしれない。だからこそ今がそれを一新させるために行動を起こす時なのだ」

家族を優先させられない時というのは頻繁にあります。しかし、感情面に関しては、自分の家族に感謝すると良いことがあるのです。自分には家族がいる、という事実にさえありがたい気持ちを持っている人もいます。しかし誰もが皆それほど幸運というわけではないことを覚えておきましょう。

長い年月が過ぎ去り、家族から距離を置いてしまっているというケースもあるかもしれません。あるいは、理想的な関係を持てていない場合もあるでしょう。いずれのケースにせよ、一体何が皆さんがいつも欲している家族との関係の妨げになっているのでしょうか?

過去とは、もしそう望めば、頭の中だけの白昼夢でしかないのです。そしてそれほど些細なものですので、過去には今現在の自分の行動の妨げになるほどの力はありません。歳月によってダメージを与えられてしまった家族との絆も修復が可能なのです。相手を許してやる必要があるなら、気兼ねなく許して良いのです。許される必要があるならば、許してもらえるように努力する権利があなたにはあるのです。

まとめると、家族が自分のルーツだ、と考えるのは良いアイディアであると言えるでしょう。家族があなたの起源なのです。自分と数多くの共通点を持つ人々の集まり、それが家族です。従って、皆さんもきっと家族を大切にしたい、と感じることができるでしょう。

私は無駄な生き方をしているのだろうか?

子どもたち

中には、子どもを持つことの重要さに気づいていない人々がいます。そういった人々は、代わりに自らの優先事項に集中しているのです。一方でそうでない人々にとって、子どもを育てるというのは卓越した人生の課題のようなものなのです。

どのケースが当てはまるにしても、お子さんがいらっしゃるのであればこのことについてよく考えてみるのが良いでしょう。もちろん、あくまで冷静に、そして自分の人生からある程度距離を置いて考えてみてください。考えを明確にすることが、適切な行動に繋がるのです。

“自分の子どもについて理解しているのは賢い父親だ”

-ウィリアム・シェイクスピア-

もし自分の子どもたちについて、育て方や彼らの将来を心配しているなら、このことを考えてみてください。何か常に心配し続けてしまう原因があるのでしょうか?その不安を和らげ、エネルギーを別のところに注ぐために新たな方法を試してみることは可能なのです。

同じ結果しか出ないのであれば、時にはやり方を変えてみなければなりません。同じ道ばかり使っていると、結果同じ目的地に辿り着いてしまうのです。

友人

年月が経つと、友人を失ってしまうことがよくあります。また、新たな友人ができることもあるでしょう。これは、出身地の都市や国から別の場所に移り住んだ人には特によく起こることです。

その結果、時間とともに自分にはあまり友達がいない、と感じるようになる場合があります。こうなると普通、選択肢は二つあります。一つ目は、自分自身を閉鎖させ、もしそれが願っているものより小さなものだとしても、今ある社交関係の保持に努めることです。一方で、旧友も大切にしつつ、新たな友情の可能性に目を向けるという方法もあります。人によって、どの選択が正しいかというのは変わってくるのです。

昔からの友人について、非常によく起こってしまう過ちが、相手を過去の姿のままであってほしい、と理想化してしまことでしょう。これにより、今の彼らが昔ほど良くは見えなくなってしまうことがあります。ここで言う古い友人とは、高校時代や大学時代の友人たちのことです。しかし、このことに確信を持つのは簡単ではありません。どちらにしても、新たに出会う人々とのつながりを作っていくことは精神衛生上とても良い効果があるということを覚えておいてください。

自分はこれまでの人生で何かを達成できたのだろうか?

「私は人生を無駄にしているのだろうか」という疑問に先行するものとして、「自分はこれまでの人生で何かを達成できたのだろうか」という問いかけがよく浮かんできます。この問いを投げかける時の意図は、人生で成し遂げたものに関してどれくらい満足できているかを測ることです。典型的なのは、それを測るためのある基準を自身の中に確立することで、それは大抵比較に基づいたものとなっています。

「自分は人生で欲しかったものを全て手に入れることができたのだろうか?」といった問いは、そういった他者との比較の結果沸き起こってくる傾向があります。この問いかけについて、最も有害なのはおそらく、自分はすでにやれることは全てやり終えてしまった、という感覚でしょう。しかし実は、まだまだこの先常に時間はあり、新たな成功を目指して進んで行ける可能性は大いに残されているのです。

多くの人が、自己改革をしたり望みを達成するのに遅すぎるということはないのだ、という意見を発しています。おそらく、この主張は全くの見当違いとは言えないでしょう。いずれにせよ、己に課す目標や、自分が到達できる達成度というのはほぼ完全に自分自身にかかっているのです

生きるための自己改革

「自分にはどんな能力がつかえるのだろうか?」「どのようなものが日々の制約になってしまうだろうか?」こういった問いかけにより、目標達成を妨げかねないような要因を知ることができます。また、これにより、目標を実現するにあたって必要な能力は何なのかを絞り込むこともできるでしょう。

そしてこういったことを知っておくことは、一般的に、重荷となっているものを手放すために重要です。目標達成に役立つどころか、さらに困難にさせてしまうような物事を自分から遠ざけることはとても大切なのです。そのため、尊敬できるような資質を持った人々から学びを得ると良いでしょう。自分を知り、自己改良していくためのプロセスをより深く掘り下げることにつながります。

“将来褒美を受け取れるのは、前進し続ける人々だ。私には自分自身を残念に思うような時間はない。私には文句を言うような時間はない。私は前進し続けるつもりだ”

-バラク・オバマ-

私は無駄な生き方をしているのだろうか?

過ぎ去って行った年月は、それが何十年だろうとほんの数年間だろうと、一年一年が経験や思い出で詰まっています。生きていく中でそれらは蓄積され、自らの知恵の塔を作り上げるブロックとなるのです。そしてその中からより良いバージョンの自分を確立するための適切な材料を見つけることができるでしょう。

「私は人生を無駄にしてきたのだろうか?」という疑問に心底煩わされているとしても、落胆しないでください。これはきっと、おそらく、困難な事情が自然に解決するまでの時間の問題に過ぎないのかもしれません。自分の目標について見直せば、やり残していることが何なのか気づくことができるでしょう。そうすると、過去に自分自身に対して設定した目標に向かって再度歩み出していくことができるのです。

自分の人生から価値や資質を奪い取ってしまうような物事には、注意を払う必要などありません。その代わりに、自らに恩恵を与えてくれることについて掘り下げてみましょう。それを念頭に置いた上で行動し、学び続ける必要があります。これは、自分自身の決断に左右されるような人生の大切な局面に特に当てはまる事実です。こういった事柄に関して、以下の三つのうちいずれかの姿勢をとることができます:

  • 決断する。
  • 決断しない。
  • 決断しない、ということを決断する − これ自体が決断であるとしても。このように、これはメンタルトラップです。

三つのうち、どれが最も勇敢でどれが最も臆病なのか、判断できるのはあなただけです。柔道家の嘉納治五郎はこう述べました:「他の誰かより優れた人物になれるかどうかはさほど重要ではない。重要なのは、昨日の自分より優れた自分になれるかどうかだ」


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  • Carretero, Mario, Álvaro Marchesi, and Jesús Palacios, eds. Psicología evolutiva: Adolescencia, madurez y senectud. Alianza Editorial, 1998.
  • Ríos, José Antonio. “Los ciclos vitales de la familia y la pareja.” Crisis u oportunidades (2005): 101-108.
  • Vera Poseck, Beatriz. “Psicología positiva: una nueva forma de entender la psicología.” Papeles del psicólogo 27.1 (2006).

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