私達は皆、光と影でできている

21 2月, 2019

光と影は、いつも私達に伴い、内側を満たしています。私達の一部であり、なりたくないものでもあります。また、将来なるものかもしれません。光と影こそが、認識しているものと避けたいものの間で起こる争いであるのは明らかです。人生に取り入れたいもの、無視するもの、見たくないものがあります。この小さく複雑なバランスの行為の中で、私達はどちらか片方だけに支配されることなく生きようとします。

知っていることと知りたくないことのバランスを取ることはとても難しいと私達は感覚的に知っています。自分と共に生きるには、物事の真実を受け入れなければなりません。私達は光と影でできているのです。そのために、いつもどこかに受け入れなくない部分があるのです。

光と影を知る

人生の暗い部分を受容することは、痛みを伴うかもしれませんが、同時に成長、変化、自己受容のチャンスでもあります。自分自身をよく知り、健康的な自尊心を成長させましょう。全てが光であるとも、いつも光が人生を照らしてくれるとも限りません。光が私たちの目をくらますこともあれば、影が探していた答えをもたらすこともあるのです。

「痛みなくして私たちの意識を目覚めさせることは不可能だ。おかしいと思うかもしれないが、自分の魂と向き合うことをさけるために、人はどんなこともできる。光のカタチを想像することで悟る人はおらず、むしろ暗い面に気づくことにより悟るのだ。」

-カール・ユング-

二人の女性

 

自分の影に気づいてますか?

影とは、不満、恥ずかしい経験や辛い経験、そして無意識に宿る不確実性への恐怖の組み合わせだとカールユングは言います。影は、私たちの自我が認められない自分のネガティブな部分すべてを含みます。このせいで、陰は、私たちが真の意味で生きること、本当の気持ちを表現することを阻害します。

悪、利己、妬み、卑怯、嫉妬、欲、その他の感情や恐怖が、私たちの内に潜む影です。人とケンカになった時、これらの感情に気づかされることがよくあります。また、不可解な不安の発作や罪悪感の中に現れることもあります。自分が人に送っているイメージさえも認識しないままになることがあるのです。

私達は、これらの感情、思考、アイデアが自分のものだと受け入れられないために、その影を人に反映することがあります。幼少期から、失敗や絶望など人生のネガティブな部分を隠すようプログラムされています。人はただ影を内に込め、同時に光も閉じ込めてしまうのです。光と影はいつも一緒です。

「その熱意のために地獄を見たことのない人は、まだ熱意に打ち勝っていない。分かっている限りでは、人間の存在の唯一の目的は、私達の影の中で光を照らすことだ。」

-カール・ユング-

バランス

 

自分の光により、前が見えなくなったことはありますか?

私達を構成する光、私達を取り囲む光、内から出る輝きはすべて、人に見せたい思い、性格、美徳、感情、行動です。これらが真のアイデンティティであるかのように、常に光をマスクのように被っておくのはとても簡単です。

お調子者、賢い、理解がある、社会的、小心者、勇敢でいることを選べます。社会生活の中で、人に自分をどう示すか選ぶことができます。

SNS上で、私達の光はより輝くようになってきています。影は隠されているだけでなく、存在しないかのように、二つ目の人生を生きています。初めは、これが人生の悲嘆から私達を保護し、良いもののように見えるかもしれせんが、実際、現代の自己陶酔的な表現の震源になっているのです。

自分の光によって、前が見えなくなる。外の世界に対し自分を表現する唯一の方法だと考えてしまう。人間であることを止め、写真ではスマイルマシーンになり、内なる自分との間に大きなギャップができる。

そこで、私達の影について知ることが重要なのです。内なるバランスを取るものです。私達は転び、嫉妬し、罪悪感を感じますが、自分を構築しなおすことができます。私達は人間であり、虚像の世界ではなく、真の現実を受け入れることで、健康的な自尊心を育み、より良く満たされる人生を生きるのです。自分の影を否定せず、認めましょう。光で前が見えなくなることがないよう、内なるバランスをみつけましょう。