現実逃避するための手段としての長旅

あらゆる旅は、自分は日常のルーティーンから逃避しているのだ、という幻想を生み出します。そして時には、帰る日にちを決めずに長旅に出ることで、自らの抱える全ての不愉快な問題を解決できそうな気がしてくることもあるでしょう。しかしそんなことは滅多に起こりません。
現実逃避するための手段としての長旅

最後の更新: 03 4月, 2020

不運なことに、人間はとても複雑な世界で暮らしています。そんな中、人は不快さを我慢すべきではないという考え方は全く想像にも及ばないようなアイディアかもしれませんね。これは人生の中で起こる自然な過程であるとはいえ、特定の学派では人は自らの現実と向き合わねばならないのだ、という主張も見られます。いずれにせよ、現実から逃げ出すことも、変化を求めている人にとっては一つの解決策であると言えるでしょう。事実、そういった逃避が長い旅という形で行われることがあります。

よく誰かが「全てに疲れてしまったから逃げ出したい」、というような言葉を発しているのを耳にすることがあると思いますが、一部の人は本当にこれを実行します。彼らは何もかもを捨て去ってしまえるような旅を始めるのです。つまり、現実から逃れることを主な目的として旅に出るということです。

人は様々な理由で旅をします。個人としての成長を目指して旅立つ人もいれば、生活から脱出するために旅に出る人もいます。前者の理由は見聞を広めて世界を見たい、という健全な願望に基づいていますが、後者の理由は自身の現在の生活へ幻滅したり、混乱を受けて自分の運命を理想的なものにしようとして湧き上がるものです。

“彷徨っている者全員が道に迷っているというわけではない”

J・R・R・トールキン

現実逃避 長旅

現実逃避 − 距離を置くことと旅に出ること

後になってから改めて再考できるように、困っている問題からいったん距離を置くことと、問題をそれまでと違った観点から眺めることとの間には、些細ですが深い違いがあります。しかし逃げることで問題と向き合うのを拒否することはそれらとは全くの別物ですが、厄介なのが、自分がどちらを行なっているのか自分でも常に認識できるわけではないという点です。

旅行は、ものの見方を変えるのにも逃避するのにも良い機会となります。どちらにせよ、全ての旅がその人をいつものルーティーンから解放し、問題から切り離してくれるのです。この切り離しは、帰る気のない長旅を始めた時にはさらに抜本的なものとなります。

その選択肢がいかに健全か、あるいは神経質なものかという度合いは彼らのモチベーションや目的次第で変わってくることがあります。もしそのモチベーションが、生きづらさを生み出しているもの全てと縁を切ることであった場合、おそらくその人物は旅行という名目で現実から逃げているのでしょう。しかしもし旅の目的が、全てが完璧で幸福感に溢れているような場所を見つけたい、というものであればその人物はおそらく、ただ逃げているだけではないはずです。

逃避と旅

新たな経験を求めている時や、世界への好奇心が高まって探検したいと思っている時、人は個人的な成長の機会として旅をしようとします。これは彼らの日常生活におけるトラブルとは何の関係もなく、自らの視野を広げたいという強い願いから生まれるものです。こういった人々は旅の計画を楽しみながら立てており、学ぶことや生きることへの意欲があります。彼らの旅は現状から逃れたいという切望とは一切関係なく、ただ個人としての成長を目的としているのです。

反対に、人は疲れ切ってしまった時に逃避旅行を企てます。発端となるのは主に、もうこれ以上抱えている問題に対処したくないという願望や、嫌いな人全員から離れたいという欲求です。彼らは”人生の新たな1ページ”を記そうとしているのではありません。そうではなく、過去のページを削除しようとしているのです。

この場合、旅の計画はあまり必要とされず、理性的というよりも勢い任せなものであることが多くなります。その始まり方の例としては、深い静寂や叫び、ドアをピシャリと閉じることなどがあります。

ここで本当に難しいのが、「人はほぼ全てのものから逃れることができますが、自分自身からは逃げられない」という点です。そして捨て去りたい問題が新たな地でも再発してしまうことがよくあります。そうです、状況が変わったとしても彼らの身に降りかかる物事の本質は変わらないのです。実は多くの場合、良くなるどころか全てが悪化してしまいます。

現実逃避 長旅

心の内側を巡る旅

時には、ある種の幻想を諦めたくないがために内省を拒んでしまうことがあります。また、開いたままの傷が決して癒えることはないと思い込んでいるため、深くその傷を調べるのを恐れてしまうこともあります。もちろん彼らが逃げ出してしまうのは臆病だからというわけでも弱いからでもありません。こういった人々が逃避に走るのは、それが効果的な解決策だと考えているからなのです。しかし、実際には彼らの考えは間違っています。

旅をしていて出会う新しい場所というのはどんな時でも素晴らしいものに思えることでしょう。それは、これまでとは違う生活を送れるかのような幻想を抱けるからです。しかし、あらゆる物事は時間とともに変化していきます。この地球上には、最初はなかったとしても、悲しみや失望、わがままさや妬み、怒りなどが生まれない場所など一つも無いのです。

最後に、真新しさが薄れてしまった時、すぐに不快さがまた襲ってきます。以前とは異なる形で現れるかもしれませんが、存在がなくなっていないことは確かなのです。そのため、自分は間違った運命に付き従っていて、自分のための隠された宝はまた別の場所や国、あるいは大陸にあるのだ、という考えに至ってしまうかもしれません。そしてそうなるとまた新たな逃避旅行を始めることになってしまいます。


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  • Vicente, A. F. (Ed.). (2010). Nomadismos contemporáneos: formas tecnoculturales de la globalización (Vol. 16). EDITUM.


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